レンタル屋に行きましたが、10枚くらい借りたいCDがあったのに3枚しかありませんでした。しまった、地元はCDレンタルのラインナップ良ろしくなかった……。
もうレンタルでは望みが皆無なのかーと悩みに悩んで、もう本当にフルで聴きたいCDは買おうと決意し、なんかそう思ったらすぐ欲しくなりセルCDの方いろいろ見たけどないので、帰宅してから通販検索してました。

最初は携帯で検索してましたが、重いしうまく見つからなかったので、そういや雨の夜桜見に行って妹がいないしとパソコンを借りました。
無事通販申し込みは完了です。待ちきれないから明日さっそく支払い済ませてこよっと〜♪



 ついでに何か調べたいなーと思い、何がいいかなぁ……と考えた結果、そういや岐阜の鉄道検索して旅先を決めようと検索。
その結果を見ていたら、ふと名鉄谷汲線と揖斐線が目に入ったので、吸い寄せられるようにクリック。
どうやら全国の廃線された路線を巡るという趣味の方によるブログでした。


 3、4年前から私はずっと名鉄谷汲線及び揖斐線の駅の写真を撮る旅にも出たいとは思ってたものの、何故かなかなか実行に至れないでいました。1番近い駅ならすぐにでも行けるってのに…というかそこにすら廃線されて約10年も行ってないじゃないか。
なんでだろう…近すぎていつでも行けると思ってるから行けてないのかな…。


 でもその方のブログを拝見してようやくわかりました。
私は駅が好きだけど、駅は駅でも“今も機能している駅”が好きなんだと。
じゃあもう使われてなくなったら嫌いになるのかと言えばもちろんそうではなく、駅は駅だから大好き。
ただ、使われてない、誰もいない、廃れた駅を見ているのがつらい。
それが長年利用してきた愛着のある路線と駅なら尚更です。
今まではそこまで自覚はしてなかったけど、深層で見たくなかったから、ずっと駅に足を運んでなかったんだ……。


 見慣れてた駅の廃線後の姿をその方や、検索したら出てきた他の方のブログを初めて見た訳ですが、知ってるのに知らない、知らない場所のはずなのに切ない、寂しい、つらい、悲しいという気持ちが身体の中をぐるぐる回ってました。
灯台下暗しなのか、私が見てたブログの方に岐阜の方は見えないみたいでした。というか、文面からして廃線前の谷汲線と揖斐線には乗ったことがない方々ばかりです。
灯台下暗しってか、むしろこれが当たり前か……知ってる路線の荒れ果てた光景見て萌えれないよなぁ……知らないからこそだよなぁ。

おおう!?この書き方はちょっといかんですな。
廃墟萌え等々の気持ちもわかるから、この方々の行動を否定してるとかそんなことは決して決してないであります!むしろ私も知らなかったむかしむかしの廃止駅のこととか場所とか、とにかく細かい部分も調べてあって比較データとかもあって、めっちゃ勉強にもなってどのブログもすんごく面白かったです♪
私は駅と電車から見る風景が好きっていう人間で、細かいデータとかはあんまり調べようとかしてないから、こうやってがっつり極められる方って尊敬です。

ただ、まだ生きていた頃の駅と路線を1度味わってても欲しかったかなとはやっぱ思っちゃったけど。廃線になってなかったらいらっしゃることはなかったのかなーと思うとなんか寂しい。
岐阜の路線もいいとこです♪



 と、廃線になった後の風景ばかりで、廃線前の写真撮られてるブログはいらっしゃらないかと気になって再び検索。
走る電車とどーんな写真はあるんだけど、電車ももちろん好きだけど、駅が見たいんだよなぁ……。


 そうこうしてたら、揖斐線谷汲線を岐阜駅前及び黒野駅から終点まで、前方風景を録り続けたという動画に辿り着きました。
観てみる。
聞いてみる。
思い出す。
そして号泣。
もう二度と見れなくて、自分の記憶だけが頼りなのにそれも薄れてきていた光景が、また見れるとは思ってなかったです。感動をありがとうございます…!
谷汲線は20年以上前の映像だったから、周りの風景もちょっと違ってて、なんかいっそおかしくて、それも楽しかったです。あの道路整備されてなかったなとか、あそこはあんなんだったな〜とか。ホント今は綺麗になったのに、昔のあの無造作な感じも好きだったと思えるなんておかしいです。



 泣いたら疲れたのでもうパソコン触るのを止めましたが……やっぱり駅をがっつり撮ってる方はほとんどいないんだなぁ……。
なんで私撮っておかなかったんだろう……って、いや学校にカメラ持っていけないしあんな通学ラッシュで撮ってたら目立つし、何よりもまだ無くなるなんて思ってなかった。
そして迎えた谷汲線廃線時はまだ貧乏学生で、資金も時間もなかったから撮るに撮れなかった。


 揖斐線が無くなったのは確か平成17年…2005年?
ようやく資金面では余裕が出来てたけど、2005年の私は腐ってたし、2004年はとにかく忙しくて忙しくて。
でも、無くなることがわかってたのになんで頑張って時間作って撮りにいかなかったんだろ。
最悪、廃線の翌年くらいまでは荒れ果てる前だったし、ようやく職変わって時間もちょっと取れるようになってたのに、なんで。


 と悩んでたら、思い出した……私、一旦廃線になるだけで、すぐ復線すると思ってたんだ……。
現にあの頃そんな噂が飛び交ってた。新聞にもそんなようなことが出てた。だから今撮る必要がないと。
職変わってから揖斐線が通った道に全然行かなくて、だから余計に気付いてなかった。


 今の職になってからかなり時間が出来て、廃線後初めて旧忠節駅にやっと行けて、そしてようやく自分の過ちを知ったんだった……。
もう跡形も無くなった忠節駅。気付いたら無くなってた市内の路面電車のレールや至るところの踏み切りに鉄橋。
復線なんてありえない現実を思い知った時にはもう、撮っておきたかった風景もみんな全部とっくに無くなってた。
気付くのが遅すぎたんだなぁ……。







 本日のなりダン2添付は、アーチェ鼻高々〜。