この世界は、とても生きづらいと思うんだ。
拒絶反応なんて、自分の意識とは別で働くんだ。
ウチの中がやらかしたことだ。
だからって私に責任がないわけじゃない。
この口が、この体が、その言葉を紡いだんだ。
私は知らない、では済まない。
どうすればよかったんだ。
どんな道があったのか。
それは所詮ifの世界。
生きていかねばならない。
私は少なくとも。
此処で、生きるのならば。
パニックを起こしている場合じゃない。
出来ないって泣いてる場合じゃない。
みんな嫌だと投げ出せるわけない。
だって、私はこの独り暮らしを自分の力で護っていかなきゃいけないんだ。
誰も、護ってくれない。
誰も代わってくれない。
それを知ってるから。
生きたいとか、生きねばならないとかじゃなくて。
きっと、生活しなきゃいけなくて。
それに必要だから。
私は頑張る。
どれだけ、どれだけ。
拒絶がひどくても。
立ってみせる。
吐いて、吐いて、吐いて。
泣いて、喚いても。
もう、へこたれないって。
立ち向かうって。
それがたとえ一人になろうと、変わらない。
私は此の世界で居たいんだ。
やっぱり、居たいんだ。
だって、言われたんだよ。
会って2回しか会ってない利用者さんに。
「あんた、また来てや」
って。
泣きそうだったんだ。
嬉しそうに帰るとき笑顔で手を振ってたんだ。
なんて、なんて、幸せなことか!
こんな私に笑顔を向けてくれる。
「また」って言ってくれる。
そんな人がいるのに。
病気を患いながらも、お話をしてくれる方々が居るのに。
へこたれてたまるか。
現場に出て、甘えてた自分を垣間見た。
違う、ダメだ、これじゃダメなんだ。
だから、頑張ってやる。
立ちなおして見せる。
破玲だって、置き去りにしない。
絶対に、見捨てたりしない。
背負って見せる。
想いすら、抱えて歩いてやる。
大丈夫だよ。
大丈夫だよ。
棄てたりしない。
抱えて、歩くと。
決めたんだから。
一つの脳味噌には一つの意識があってしかるべきで。
積み重ねられた経験や知識の上で、予想されるであろうこと等を詰め込んだのが、身体的年齢より上の私たちなんだと思います。
それは、憧れにも似たような人格、とでも言いますか。
けれども、どう頑張ったところで身体の経験値を超えることは出来ないのです。
そんな風に、思います。
私たちは所詮人格です。
限られた箱庭の中でしか住む事の出来ない住人とでもいいますか。
此処から踏み出すことは、出来ないのです。
どんな思考を持っていようが。
それは無秩序の中でのみ許される行為であって。
表で生活し、生きている者にとっては。
秩序があり、他人があり、その中で生きていかねばなりません。
好き放題していいわけでもありません。
そんな中でも懸命に生きようと、死のうと、それでも生きようと努力している人達を。
私たちが支えることはあれど、潰しにかかるのはまた違う話になりますが。
きっと潰す方にも正義があり。
立て直すだけが救済ではないのだと。
きっと彼らにも正義は存在していて。
箱庭は箱庭なりの葛藤や争いがあるのではないかと。
それは確かに経験しただけの善悪しかありません。
ですがきっと、一方的な見方をするのではなく、多方面から物事を見ることが出来ることで、年齢差があるのではないのかと、思いました。
誰かを責めることも。
自分を責めることも。
拒絶する事も。
どれもきっと簡単です。
けれどそこから動かねば。
貴女が欲しがる先は見えないのをご存じでしょう?
昨夜酷く拒絶を起こして吐きながら。
今日は仕事に来れている。
葛藤は酷いですが。
それでも、貴女はまだ動けますよ。
どいつもこいつも馬鹿じゃないの?
ほら、いつもこの人言ってるじゃない。
約束は破られるために在る。
そんなことも分からず、離されただの裏切っただの。
悲しませただの、絶望させただの。
だから約束なんて、大した効力も持たない産物なんだってば。
還る場所があるから、人は自由に出来るのだとして。
その還る場所を自ら断ち切ろうとした人。
自ら断ち切った人。
どちらも、褒められたもんじゃないけど。
その居場所に依存して、自由し過ぎて本当に大事なもの見失ってた方も一体どうなのかと。
大事なものや人は手元に置いとかなくちゃ。
居場所があるからって、安心して。
一時避難所があるからって、依存してりゃ世話ないわよね〜。
自分が悲劇のヒロインしてりゃ楽でしょうさ。
さて、アンタはどう立ち向かう?
昔と同じように、相手に気を遣わせてるこの関係を、どう変えていく?
何のためにアタシがあの時生まれたのか。
汚いアンタの代わりでしょうが。
思い出しなさいよ。
汚れきった自分を。
今の幸せが何を犠牲にして在るのかも。
莫大な犠牲を払ったくせに。
まだ悲劇のヒロインしたいんだったら、いい加減死ね。
つか、死ねよ、まぢで。
誰にも想像なんてされるわけがない。
むしろ、わかってたまるか。
分かって欲しいわけじゃないし、分かってもらいたくもねぇし。
人と人が関わりを持つという時は、リスクを背負う。
それを、最後に伝えられたなら、良かったんじゃねーか、と。
自分に言い聞かせてみる。
所詮これから先は自己満だ。
自分に都合のいいように現実をすり替えて、記憶になる。
自ら手を放したのは俺だ。
憎め。
恨め。
悲しみでなく、それらを原動力に。
生ききってみろ。
誰かを恨むことで。
誰かを憎むことで。
人は前に進めることも、あるんだと。
ただし。
それらはやがて、自らに暗い影を落とす。
だから、俺は一概にそれが正しいとは思わん。
だがな。
リトにしろ俺にしろ。
それこそ明夜や朱里、緋里が憎まれ続ける役ってのを引き受けるのも。
きっと、悪かぁねぇんじゃねぇかとも思う。
どうも、ご無沙汰しとります破玲さんです。
あけました、おめでとございます。
購読者の皆様を始め、此処を覗いて下さる皆様、いつもありがとうございます。
何かお気に召すところがあれば、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
相変わらずのスタンスですので、不快な思いをされるような言葉や想いを抱かれましたら、マッハでブラウザバック推奨でゴザイマス。
そこんとこ、どうぞよろしく。
さってー。
年が明けた。
俺は年を食わないので、年を食う不安とかそういうのはとは無縁な状況だから。
コイツとなんて言葉を交わしていいのかわからんくなってる。
それはなんつーか、オマエが負わされた業なんだろうな…
最近よく言葉で聴くわけですよ。
「死んではいけない理由を感情論ではなく論理的に説明してくれと」
この中でどなたか説明できるお客様はいらっしゃいますかぁー。
こういう類の議論はお偉いさん方が何十年、年百年とかけてもまだ解けないところであって。
結局のところ「死にたい!」という人間には、感情という武器でしか切込みをいれることができない。
誰かに迷惑をかけるから、なんていうのはよく聞く話。
そんなん言ったら生きてるだけでも人様に迷惑かけてない人間はいるのかと。
誰かが悲しむから。
そんなん知ったこっちゃねぇわけですよ、死にたい人間は。
少なくとも、コイツは。
難しいですなー。
ただ「悲しい」という感情は。
きっと俺は間違ってないと思うんだ。
この世界から、温もりが消えて「人間」ではなくて「物」に成った時。
それはきっと、悲しい事だと思うから。
死んだ人間は、死んだ「人間」ではなく、死んだ「物」に法的にはなるらしい。
俺からしたら、消えるというのは寒く冷たいものではなくて。
燃えるような豪華の中に放り込まれるような感覚。
それは、温もりを抱きながら消えられるようで。
冷えていくとは、逆で。
なんとも…
っつーわけで、どういうわけか。
ことよろーです。