主人格というのは、創造主。
逆らえない、絶対的な存在。
本格的な統合は、全人格と主人格の統合、になる。
けれどもこの器で行われているのは、人格同士の統合であって、それ以上の進展は見られていない。
人格は、個々人であり、集合でもある。
自分の意志はありながらも、それが“自分のものだ”という確証は何処にも無い。
アタシ達は、全てにおいて個人が番人の役割を持つ。
それは、暗黙の了解とされていたところ。
逃げたいから、出来たんじゃない。
逃げたいほど耐えられない現実から、出来た。
個々人が、自分しか無い秘密を握っているのと同じである。
著しく感情が欠落している人格もいる。
感情が、バロメーターとなり器を守れることにもなる。
器を守る、というのは。
きっと主人格の意志とは反するものだと思う(苦笑)
けれども、少し位は信じてみたいじゃない。
人は、誰しもが。
生きたくて、生き延びたくて。
それでも必死に足掻いていると。
この器は恵まれたのか、分からないけれども。
それでも、生き延びようとしている。
人の意志が働く、もっともっと深いところで。
きっと、物事は動いているのだと。