道が違ったと言うけれど、過去を戻りたいものと言うけれど、もしそれの始まりがあるとするのなら寺子屋時代なのだろう。
戻りたい過去と言うにはあまりにも苦いだろう、攘夷時代は。
でも辰馬があの時得た仲間だということは、意外にとても大きな意味があるのかもしれない。
あまりにも失うものが多い時、しかし失うばかりではなかったということ。
仲間は仲良くなろうと思って作るものじゃないなと思いました。
その場以上、必要以上には銀時はそういう関わりかたをする気もないだろうと。
ただ関わらずには、出会わずには、擦れ違わずには、生きていかれないのだろう。
そのちょっとのきっかけが、長く戦を共にしたり、何度も街中で行き合ったり、数度仕事を貰ったり、繰り返されるなかでいつの間にか大きな絆となる。
重たいのは彼は嫌いじゃないかと思います。必要以上にしんどいことは面倒でしょう。
だから自ら縁を繋ぎに行こうとはそんなにしない。あって固定客くらい。
そもそもそんなに多く抱え込めない。落としてきたから。もう何もないと言わしめるくらい。
新八達と出会う前の銀さんなら、もし普段からそんなに心を割く相手がいたのなら、お登勢さんくらいのものではないかしら。
街の人とはそれなりによくやっていただろうけれど、行き逢ったときに困っていたり、依頼されたり、どうにも放っておけない時以外すすんで世話やいたりはしなかったろうなって。今もだけど。
彼と同じ屋根の下にまで受け入れさせたってあの子達すごいよ。憎まれ口叩いてバカやってだらけておこられて怠けて理不尽のやり取りをして、それでも大事に大事に思っているだろうよ。何よりも。
銀さんがツンデレかっていったら、まあツンデレだけど、思ってた程ではないのだろうな。
恥ずかしいから仕方なくって言い訳してるわけじゃなくて、関わりたくないことには本気で関わりたくないんだと思う。
だけど顔を知ってしまえば、心を知ってしまえば、その眉が寄る所を知ってしまえば、いろいろ引っ掛かっちゃって放って帰れないんじゃないかしら。
一話の新八なんか、新八が食らいついていったから雇われて今ああいう形だけど、でなければ見ず知らずの困ったすれ違いでしかなかっただろう。
そんな見ず知らずの姉をあんな無茶して助ける銀時だから、慕われもしただろうけど。見ず知らずの為にしては、あまりにも投げ出されたものが多すぎる。
自分の手元にあるものへの大切に仕方もぶきっちょだし。どんなに大事でも親と見ず知らずだった自分とじゃ確かに幸せを願うなら比べるまでもなかっただろうけど。引き留めるなんて選択できなかっただろうけど。
とかって急に思ったりしてね。
思ってるより優しくない人だと思った。
でも、思ってるよりずっと優しい人だと思った。
「かわいい」とか「やさしい」とか、言葉が足りなくていろいろいっしょくたで誤解を生みがちですけれど。
あってるかは分からないけれど自分で描く銀時がなよっとしすぎるので、ちょっと悪人っけを足したいこのごろです。
悪人じゃあないけど素行の良くなさとかって、私には少し難しい。