夢100アポロ夢その3
D アポロとクラレット。魔物との対峙と王子の異変
クラレットが駆け付けた先では、兵士たちとアポロが魔物と対峙しているところだった。
どこかの群れを追い出された個体だろうか。狼を醜く巨大に膨れ上がらせたようなその魔物は、耳障りな声をあげてこちらへ向かっている。
「お前達は民の方へ向かえ。邪魔だ」
「ですが、アポロ様!おひとりでは危険です!」
「俺の言うことが聞けんのか?」
反論しようとした兵士を睨むアポロから、熱の波動が湧き上がる。
悲鳴を呑みこんだ兵士は恭しく頷くと、他の仲間を連れだって城下へと姿を消した。
その彼らと入れ替わるように、クラレットが姿を現す。
「何をしに来た」
「助太刀に参りました。アポロ様」
「要らぬ。こんな雑魚如き、俺一人で十分だ」
「ならば、好きにさせていただきます。私が貴方の許嫁(モノ)でない以上、命令に従う謂れもない」
「……ちっ」
鬱陶しげに舌打ちするアポロの隣で、クラレットは体内の魔術回路を解放していく。
艶のあるワインレッドの長髪が、湧き上がる魔力に呼応して踊るように舞い上がった。
アポロは一瞬驚いたようだったが、すぐに眼前を睨むと、己の腕に炎を纏わせていく。
「散れ!」
クラレットの声に呼応して、魔物の周囲を炎が覆う。
怯んだ様子の魔物はしかし、焼けるのももろともせずこちらへ向かってきた。
「下手くそが、炎はこう使うのだ!」
アポロが焔を纏った腕を突きだせば、放たれたそれが魔物の脚を焼いた。兵士の持つ剣ほどの爪が燃え上がり、苦悶の咆哮が空気を揺さぶる。
クラレットはそれを睨みながら、口の中で印を唱えた。
炎の槍が地面から生え、魔物の腹を貫いて燃え上がる。
「誰が下手くそですか。我が一族は、火の精霊を奉じる由緒ある家ですよ」
「知るか」
「知らないとは言わせない」
クラレットの声が、どこか縋るように響く。
「貴方が、そうでないなら……私は一体、何を信じろと言うんだ……」
炎の槍を受けてなお、魔物は斃れない。それどころか、火だるまのままで突っ込んでくる。
「しぶとい、奴だ!」
アポロの緋色の瞳が、見開かれる。何気なく彼を見たクラレットは、彼の顔色がひどく悪いことに気が付き、息を飲んだ。
……いや、今はそれどころではない。とにかくまずは、この魔物をなんとかしなくては!
アポロの焔の気配が強くなる。それへ合わせるように、魔術回路をフル回転させた。
「燃え尽きろ!!」
二人分の炎が、火だるまと化した魔物を更に包み込む。超高温に晒され続けた魔物の巨躯がのたうちながら、二人の眼前で、断末魔の叫びと共に動きを止めた。
程なくして収まっていく炎から現れたのは、魔物のものだったろう、焼け焦げた骨格のみ。
「っ…は……」
クラレットは、ふらつきそうになるのを耐えながらそれを見ていた。かつてない程に使った力の反動で、眩暈を起こしかけていたからだ。
「アポロ、様……これで、皆……」
息を整えながら隣を見たクラレットは、先の言葉を紡げなくなった。
アポロが胸元を押さえながら、苦しげに目を閉じている。血色の良い肌も今は蒼白で、噴きだす汗も半端ではない。
「っ、アポロ様!」
「俺に、構うな……!」
ぎり、と歯噛みする音と共に、苦しげな声が吐き出される。
支えようとするクラレットの手を跳ね除け、アポロはふらつきながら立ち上がった。それも酷く危うく、気を抜けば倒れてしまいそうだ。
「アポロ様!」
「喧しい…っ…それより、戻るぞ……お前も、来い」
「は、はい」
思わず返事したクラレットだったが、すぐに「えっ」と零す。許嫁とも認めていないような女に、こんな言葉をかける者だっただろうか。フレアルージュのアポロと言う男は。
しかしそれを聞く暇もなく、体を引きずるように戻っていくアポロの傍へ、クラレットは気遣うように寄り添って歩く。
手助けは相変わらず跳ね除けるものの、その苦しげな様子は、普段の居丈高な彼と同一人物とは思わせない程だった。
……城に戻り、使用人やアデリーンへアポロの代わりに事情を軽く話しつつ、クラレットは初めてその私室へと入り込む。
体をベッドへ投げ出すように横になったアポロは、苦しげに浅い呼吸を繰り返していた。
「……」
殺すなら、今ほど絶好の機会もないだろう。
クラレットはスカートの上から、吊るされたナイフの存在を撫でる。
しかしその手を、彼女はぐっと握りしめた。
(……だめ。私には、出来ない……)
暗殺と言う卑怯な手段を、今更嫌だと言うわけではない。だが、高圧的であれ、本当に民を思って立つこの男を、どうしても消すことが出来ないのだ。
確かに、民衆はアポロの生みだす炎を恐れていた。しかしその恐れは、アポロ本人の性格からではなく、一般人には使えない力を恐れているにすぎない。
もちろん人柄を見ても、彼は威圧的であり、人の上に立つには思いやりが欠けているところもあるだろう。それでも彼の「王たる者は民を守って当然」の言葉に、嘘偽りはない。
恐らくは、クラレットの故郷を蹂躙したという事実を知らないのも、嘘ではないはずだ。
……その犯人は未だ分からずじまいだが、アポロではないと思われる。ここで彼を殺したところで、この領地から無駄に太陽を奪うようなものだ。
だが、そうであるならば。この心を一体、何処に持って行けばいいというのだろうか。
(お父様、お母様……仇を討てない私を、お許しください……)
唇を噛み、クラレットは溢れる涙を止められないままでいた。
「!」
その頬を、不器用に撫でる熱い手を感じる。
うっすらと目を開けたアポロが頬を撫でているのに気付き、クラレットは思わず息を飲んだ。
「は、え、アポロ、様……?」
「情けない顔を、この俺に……見せるな……」
「っ……」
気遣える相手であればまず、何故泣いているかを聞いているだろう。それよりも真っ先にこんな物言いをする辺り、そういうところだ、と思う。
思うのだが、それが何故か、今のクラレットには愛しく思えた。
アポロの手が、クラレットの手を掴む。普段より少し弱く、それでいて弱々しすぎない力で導かれたのは、逞しい胸元だった。
燃えるような太陽と、獰猛に吠える獅子が一つに描かれた刺青がそこにあって、焼けつくような熱さをクラレットの手へ伝えてくる。
「こ、れは……」
「楔だ」
「くさび」
「俺の、炎を生み出す力は……父や兄に、恐れられてきた。だから……心臓に、楔を打たれ、力を……無理矢理、抑え込まれている……」
「な、っ」
脳裏に浮かんだのは、ダイアの顔だった。
あの男は、ここまでしてアポロを消したいのだろうか。愕然とするクラレットに構わず、アポロは落ち着きだした呼吸の元、くっと喉で嗤った。
「そうでもしなくば、俺がこのフレアルージュを掌握する……あいつらは、それが恐ろしくてたまらんのだろうな。だが、楔があろうとなかろうと、俺の力を抑えられるものか。……たとえ、女を寄越して……骨抜きにしようとしてもな」
「! まさか、気づいて……」
「使い古された策略に、この俺が引っかかるか。阿呆」
は、と笑ったアポロは、ゆっくり体を起こす。
かと思えば、クラレットは手を引かれ、気が付けばアポロに組み敷かれていた。
「っ、あ」
「おおかた、父と兄の差し金だろうが……それはいい……」
「それよりも答えろ。お前の生まれは、魔術に長けた領地と言ったな。……ならば、この心臓の楔をどうにかする方法は、あるのか?ないのか?」
「っ……」
クラレットは息を呑む。嘘は許さないと言う光が、緋の瞳には宿っていた。
「……楔が、どうやってアポロ様に制約をかけているのか、分からない以上……手の打ちようは、ありません。下手に魔術でどうこうすれば、命を失います」
「そうか。……まあ、なんとかなるなら苦労はせんが」
「ですが、力を使う際の苦痛を、和らげることはできます」
クラレットは震える手で、スカートの上からベルトを解く。
そうして軽く裾をあげると、手を差し入れ、ナイフを吊るしたベルトを掴み、見せた。
「ナイフの柄を……紅玉が、見えるでしょう。私の領地は、紅玉がよく採れたから……それを、媒介にすれば、或いは……」
「……」
アポロはすっと目を細めると、クラレットの手から奪うようにナイフを取った。
E アポロとクラレットとダイア。アポロの留守を狙ったダイアだったが……。
アポロが遠征に出た、翌日のこと。
クラレットは、バルコニーでアデリーンと午後の紅茶を楽しみながら、ぼんやりと城下を眺めた。
『聞こうと思って聞けずじまいだったから今聞くが、お前は怖くないのか。我が炎が』
『貴方の炎は、綺麗ないのちの炎。それを恐れる理由が、どこにありましょうか』
『……』
遠征前には不釣り合いな問いだったが、クラレットはそれに対して隠す理由も意味もないのではっきり答えた。
その時の、今まで見せた事のない複雑そうな顔が、どうにも脳裏から離れないのだ。
おかげでアデリーンのみならず、城の兵士にまで体調不良を案じられる有様だったが、そこを何とか乗り切って今がある。
(何で、あんなことを……私があの男の刺客だったと気づいても、なんのお咎めもなかったし……)
クラレットは、蜂蜜を溶かした紅茶を飲みながら、目を伏せる。
(……私はおかしい。騙されていたとは言え、殺そうとしていた相手を……しかも、優しくされた記憶なんてない相手を……どうして、こんなに……)
「クラレット様」
アデリーンが心配そうに声をかける。
はっと気づいたクラレットは、苦笑いを浮かべて軽く首を振った。
「どうしたの、アデリーン」
「アポロ様が心配ですか?」
「え、っ」
「遠征に出られてから、ずっと浮かない顔をしておいでですよ」
「あ、え、ええ……」
「大丈夫ですよ。あの方は、簡単に倒れたりしませんから」
「……」
アデリーンは知っているのだろうか。アポロの心臓に、実の父兄の手で打ちこまれた楔を。
それを考えるだけで、クラレットの心は痛むと言うのに。
誤魔化すように紅茶をもう一口飲んだクラレットだったが、不意に表が騒がしくなったことに気づくと、アデリーン共々慌てて席を立つ。
程なくしてバルコニーへ、転げるように護衛の一人が駈け込んできた。
「何事?」
「だ、ダイア様です!アポロ様の兄君、ダイア様が、この城を乗っ取ろうと……!」
護衛は酷い傷を負っているが、辛うじて命に別状はないようだ。アデリーンが駆けより、彼に肩を貸した。
「アデリーン、城の皆を安全な場所へ逃がしてください」
「っ、クラレット様は?!」
「私は、仮初めと言えど許嫁です。主のいない城を守る義務があります」
「そんな!」
アデリーンが絶望的な声をあげるも、クラレットは微笑んで「大丈夫」とだけ残し、貴族の身に着けるようなドレス姿のままで城内に戻る。
襲い掛かってくる兵士は、魔術で生み出す炎を見せつけるだけで簡単に牽制できた。
そうして進んで行くうちに、いつぞや顔を合わせたダイアの姿を捉え、足を止めた。
ダイアもクラレットに気づいたか、薄い笑みを浮かべる。
「これはこれは。獅子身中の虫になりきれなかった輩が、我が手を裏切って弟についたのか?」
「答えて。貴方は知っているはずよ、ダイア。……我が×××××領を侵略し踏みにじった、本当の犯人を」
「それを知ってどうする?紅の魔女」
ダイアはせせら笑った。彼の指示で、兵士が一斉にクラレットを取り囲み、刃を向ける。
「答えろ、と言っているのよ」
「……その瞳、あいつそっくりだな。忌々しいことだ。駒の分際で」
ダイアの顔から笑みが消える。
冷たく見やる男から、クラレットは目を背けることはなかった。
「ま、これだけの精鋭に囲まれて、逃げも抗えもしないだろうからな。冥土の土産に教えてやろう。……×××××領を落としたのは、私さ」
「っ!」
「国王は宝石がお好きなんだ。私もまた然り……だが、税として入る分では、満たされない。ならば我が物にした方が早いということだ。単純だろう?」
「……そんなことの、ために……?」
クラレットの内側から、ふつふつと怒りが湧き上がる。
×××××領が紅玉の産地として有名なのは、フレアルージュならず他国にも知れ渡っていたことだろう。それでも他国は、行商人を介しての取引に留めていたのだ。
それが、他ならぬ本国の、しかも心臓部にあたる土地を治める国王と第一王子に裏切られた。
もっとたくさんの紅玉が欲しいと言う、それだけの理由で!
「喜べ。×××××領の紅玉は、有効に使われているぞ。なにせ都の壁から天井から紅玉に出来そうなほど産出しているからな。それにどの紅玉も、余所の国に高く売れる」
「……」
「名誉だろう?×××××領主の娘、クラレット。その名誉を抱いたまま、死ぬがいい」
ダイアが命令を下す。兵士が一斉に、少女の体を剣で貫き通した。
……はずだった。
「な、っ」
魔術を通さないという鎖帷子に身を固めた兵士達は、だからこそ、気づくのが遅れた。
彼女の体を貫いたはずの剣が、一瞬で炭となり、ばさりと手の内から散ったことに。
「な、何をしている!早くこの女の術を防げ!」
「私の術を防ぐ?」
クラレットは冷たく笑う。
その瞳ははっきりと、燃え盛る炎の輝きを爛々と宿していた。
「……そう。魔術師を連れて来て、私に封呪をかけるつもりでいたのね。ここまでこけにされたことは早々ないわ」
「おい、早く―――!」
「無駄だと言っている」
封印のルーンを唱えていた魔術師を睨めば、瞬く間に苦悶の叫びをあげ、彼らの体が発火する。息を呑むダイアを前に、クラレットは目の笑っていない笑みで続けた。
「教えてあげましょうか、ダイア。我が×××××領は、単に紅玉の産地というだけではないの。……優秀な魔術使いが、多く生まれる土地でもあったのよ」
「私の家は火の精霊を奉じ、家紋も火蜥蜴を模した、炎の魔術使いの家系。両親は、共に超血統の魔術使い。その間に生まれたのが、この私よ。……あとは、わかるでしょう?」
「ひっ……!」
ダイアの顔が、いつの間にか一切の余裕をなくして蒼白になっている。クラレットは瞳に燃えたぎる怒りを宿し、男を睨み付けた。
「よくも、我が一族と領を私欲で辱めたな……その罪、灰燼となって償え!」
「待て」
出力を最大にしかけたところで、聞きなれた声が制する。
顔を向ければ、兵を引き連れたアポロが戻ってきたところだった。
「ば、馬鹿な!何故お前がここに!」
「喚くな、耳障りだ」
クラレットと同じ……否、それ以上の怒りを持って、アポロの腕から炎が噴き上がる。放たれたそれは威嚇だったか、ダイアの眼前の床を焦がすにとどめた。
腰を抜かした兄を、アポロは冷たく見下す。しかしそれもすぐ、クラレットの方に向いた。
彼の強いまなざしを受けると、不思議と己の内で燃えていた怒りが鎮火するのを感じる。
アポロが近寄ると、彼女を囲っていた兵士らが、波の引くように後ずさった。
「クラレット」
「! アポロ、さま……?今……」
「俺が不在の間、よく城を守った。褒めてやろう。……だが」
言いながらアポロが、クラレットの額を軽く指ではじく。
いたい…と涙目になる彼女へ、嗤いながら続けた。
「こんなゴミを燃やすのに、お前の炎など勿体ないわ。阿呆め」
「な、っ」
ダイアが何か言おうとするも、鋭い緋の瞳に射抜かれて言葉を失う。
「事実を言ったまでだ。俺があの程度の領を押さえるのに、何日もかけると思っていたとはな。どうやら父も貴様も、我が妃のみならず、俺のことすら舐めくさっていたと見える」
「えっ」
「さて、愚かな兄よ。貴様の小賢しい謀略は全て潰えたが、最期に言い残すことはあるか?」
クラレットの隣に立ち、アポロが冷たく笑う。
ようやっと我に返ったか、ダイアは「今回はこの辺で撤退としてやる!」と捨て台詞を吐き、兵士を連れると這うように逃げ去った。
「捨て台詞も三流か。本当につまらん男だ。同じ血を分けた事実すら認めたくないな」
「……アポロ様……」
「何だ」
「その……か、体は大丈夫なのですか?」
「帰って早々それか。色気のない」
ふん、と鼻を鳴らしたアポロは、腰に結わえていたナイフを鞘ごと外す。
いつぞやにクラレットから奪った、あのナイフだった。
「お前の言っていた通りだな。この紅玉、ただの石ではないようだ。おかげで幾らか、負担も少なく感じる」
「………」
クラレットはナイフをじっと眺める。
しかし程なくして、アポロの前に膝をつき、頭を垂れた。
「何のつもりだ」
「アポロ様。私は……勘違いと言えどあの男の策に乗り、貴方の命を一度は、狙った身。貴方は私を妃と言ってくれましたが、領主の娘であった者として、けじめをつけたいのです」
「……」
「どうか、私を罰してください。貴方が望むなら、この命すら惜しくはありません」
「……殊勝な奴だ。ならばその願い、聞いてやろう」
そう言ったアポロが、クラレットの髪を掴む。手にしたナイフをゆっくりと振りかざす。
アポロ様、と兵士の誰かが叫ぶ中、クラレットは静かに目を閉じた。
ざぐり。
鈍い音が響いたかと思うと、首筋が涼しくなる。
驚いて顔を上げたクラレットは……顔を上げられた、と言う事実を確認する暇もなく……アポロの手に収まった自身の長い髪束を、信じられないもののように見つめた。
「髪は女の命だと、アデリーンが言っていた。……ならばこの瞬間、お前は死んだな?」
「っ、あ」
「死んでしまったならば、それ以上刑を執行する意味もない。……そうだろう、クラレット。我が妃よ」
「!」
それを聞いた少女の瞳が、瞬く間に揺らぐ。ぽろぽろと涙を零す彼女に一瞬、アポロは驚いたようだったが。
「……惚れた女を泣かせるとは、王の……否、男の恥だな」
溜め息交じりの苦笑いを零しては、同じように膝をつき、その涙を掬ってやった。
F アポロとクラレット。正式に宣戦布告してきた父兄との全面対決前
夜のバルコニーから外を眺めていたクラレットは、名前を呼ぶ声に振り返った。
武装を解いていないアポロがそこにいて、当たり前のように隣へ並び立つ。
「民は皆、城の中に避難させました。あとはこの領地に、敵を一歩たりとも入れずに戦えば良いだけの事」
「防衛戦とはな。攻め入る方が性に合っている」
「あの臆病者のことです。主力部隊を削れば、這う這うの体で逃げ帰るでしょう。あとは、この領を守る兵を残して攻め入ればいいだけ。先にしかけてきたのは向こうですし、大義名分は私達にあります」
クラレットは、肩にかかるかかからないかまで短くなった髪を撫でて微笑んだ。
一方のアポロはにこりともせず、遠くを眺めるように目を細める。
「遠征先で」
「?」
「ふと、お前の顔を思い出した。……その呆けた顔を、また見たいと思ったのだ」
クラレットに向いたアポロの笑みは、今まで見たこともないほど優しい。クラレットは頬が熱くなるのを感じ、思わず目を伏せた。
アポロはくく、と喉で笑いながら、続ける。
「……奪ったナイフの紅玉が苦痛を和らげたのも、勿論だが。俺は何より、お前の真っ直ぐな瞳と言葉に、惹かれたのかも知れん」
「そ、それは、その」
「この身に宿りし炎の力を恐れられることは多々あれど、綺麗などと言われたのは、初めてのことだ。……だから、会いたいと思った。そんな奇怪な事を、臆さず口にしたお前に」
「……アポロ様……」
思わず胸元で、クラレットはぎゅっと手を握る。
それを見たアポロは、相変わらず笑みを零すと、そんな彼女をすっぽり抱きしめた。
「ふぁっ」
「聞け、クラレット。これが我が鼓動。生きる音だ。……俺がこれから兄と父を討てば、この心臓の楔は生涯、抜けることはなくなるだろう。だが、生かしたところで、奴らが楔を抜くとも思えん。故に、俺は覚悟を決めた」
「お前も、覚悟を決めろ。このアポロの妃として、お前の全てを俺に捧げよ。……そうすれば、この俺がフレアルージュの王となり、お前の領をも取り戻してみせよう」
「言われずとも、覚悟は出来ています」
クラレットは寄り添うように、腕の中で身じろいだ。
「私の命は、貴方のものです。あの日、貴方の命を狙っていた私は死にました。そうして今ここにいるのは、貴方の……き、き、妃としての、私ですから……」
「肝心なところでどもるな。締まらん奴だな」
「……最初は許嫁と言われても、認めてくださらなかったし……」
「兄に用意された罠へやすやすかかるほど、この牙も爪も鈍っておらんのでな」
相変わらず含み笑いを零す彼に、クラレットは頬を膨らませて「ずるい」とすり寄った。
「結構だ。純粋なだけでは、政など出来ん」
「うう……」
「それより」
ふと、アポロがゆっくりと離れ、クラレットを見つめる。
「本当に、俺と共に戦へ出るつもりか」
「もう何度も申し上げたではないですか。待つだけの女にはなりたくないと」
そう言うたびに口論となっては、アデリーンや兵士らに止められたことを思い出し、クラレットは笑みを零した。
「それに私は、フレアルージュの時期妃として……×××××領主の娘として、あれらにお礼参りせねば気が済みません。舐められたままでいられるほど、おとなしくありませんので」
「……呆れた女だ」
アポロは苦笑いにも似た笑みを浮かべると、もう一度クラレットを腕の中に閉じ込める。
「だが、俺は強い女が好きだ。……それがクラレット、お前ならば尚更に、愛おしく感じる」
「アポロ様……」
「忘れるな。お前は俺の妃。すなわち、このフレアルージュの王妃となる女だ。決して、俺に断りなく命を投げ打つなよ」
「愛している」
「……ならば、誓ってください。未来のフレアルージュ王よ。貴方も、私の知らぬところで命を散らさないと。私も同じくらい、貴方を愛しているのですから」
「それがお前の望みなら、叶える他ないな」
アポロがクラレットの顎に指を当て、そっと上を向かせる。そうして軽く唇を重ねると、穏やかに優しく、真っ赤になる少女を前に笑みを零した。
「この国で俺にできん事など、何一つないのだから」
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