ここに住んで以来「水道水が鬼マズい」あるあるにダメージを受け続けているよ
買った水飲めば良いという事ではなくて「蛇口ひねったらある程度美味しい水が出てくる」というそれまでの日々の連続性が失われたのが思いの外辛い事だったし、今も諦めてはいるけど受け入れては無い
ほぼ365日食べてた納豆がどこにも売ってなかった事もいやだった
これは少し遠い方のスーパーにやっと発見して安寧を得た
本当に助かった
名字住居職、日常が一変して自分という人間の連続性が死んだように感じた
この先何度外に出てもどこに住んでもどんな変化が訪れてもそこにあの友人はもう居ないのだというリアルな質感が荷担した
他にも出世や出産などそれが慶事だとしても生活の変化を数値化して加算、一定値を越えると人間の精神は安定を欠きやすくなるという研究があるらしいと後に知った
利便性が高いし以前暮らした街より役所や病院の人たちが優しい事でやっとここの良い面にも目を向けられるようになったけど、自分が生活の何に重きを置いてるのかってのは失ってみないとやっぱり分からんもんだなと痛感した