タイトルなし

もうすっかり寒くて身体の節々が痛むので、大学生時分の話でもしよう。
仮面から招待状を受け取った二日後の夜…… 私は、最寄り駅の南口に赴いた。以前、片目の道の件で世話になった、あの南北連絡通路が存在する駅だ。もう一人の招待客である鳥居は既に到着しており、南側出入口の傍らに設置されている石造りのベンチに腰掛けていた。
白いオーバサイズシャツの上に薄手のマウンテンパーカーを羽織っていて、下はワイドパンツ、スニーカー。いかにも動き易さを重視したような出で立ちである。全体的に幅広なシルエットなのは不測の事態に備えての事か…… 恐らく、ポケットやら何やらに無数の魔除けでも仕込んでいるのだろう。そして年齢を誤魔化す必要はないとの判断か分からないが、今日は普段通りのポニーテールだった。
鳥居はこちらの姿を認めると、ポニーテールを揺らして手招きをした。促されるままに隣に座ると石造りならではの冷たさが衣服越しに伝わって…… こなかった。妙に温かい。
不自然に思って視線を巡らすと、私と鳥居の間の二本の缶コーヒーが置いてある。どうやら、直前までそれで座面を温めていたらしい。戦国武将の小姓さながらの気配りである。家臣の謀反には気をつけねばなるまい。

「ブラックは苦手でしたよね? キャラメルフレーバーの甘いコーヒーというのがあったので、試しに買ってみました」

鳥居が掌を缶コーヒーに向けながら言った。確かに缶の外装もキャラメル色で、甘ったるそうな印象を受ける。私はそのうちの一本を手に取った。暦の上では立夏を過ぎているとは言え、陽が沈んだ札幌は依然として寒い。仮にブラックコーヒーだったとしても暖を取れるだけ有難い。
しかし鳥居はすぐさま、「ありがとうございます」と微笑んで右手を差し出してくる。私は一瞬逡巡しながらも、それを手渡した。

「花塚さんも、どうぞ」

そう言われて、残ったもう一本の缶コーヒーを手に取った。冷たい。夜風に晒されて温度を奪われたのではない。最初から冷えていたものだ。そして鳥居は、間を置かずに自分自身が手にしている缶コーヒーを私の冷えた缶コーヒーにそっとぶつけて、「かんぱい」と言った。

「……法月綸太郎とか読むのかい?」

訊ねると、鳥居は得意げに笑った。

「少しだけ勉強してきました」

畢竟するに、私は誘導されたのだ。冷たい缶コーヒーを手に取るように。さり気ない誘導で思惑通り温かい缶コーヒーを取った私は、当然のように差し出された鳥居の手に缶コーヒーを渡した。両方とも温かいと決めつけていたし、さらに、「買ってきてもらってきたのだから先に口を付けられない」という心理が働いたからである。掌による誘導を無視して冷たい缶コーヒーから手に取った場合は、鳥居は何食わぬ顔で温かい缶コーヒーを取るだけで済む。
この手のミステリ的誘導は、推理小説家である法月綸太郎の十八番…… 短編小説『黒衣の家』でも読んできたのやもしれない。
仮に私がそういう常識を無視するような奇人だったら成立しない誘導だが、今夜の集まりは何が起こるか分からない。この冷たい缶コーヒーは、鳥居なりの注意喚起というわけだ。

「受験勉強も忘れずに」

「わ、わかっていますよ」

私達は温かい缶コーヒーと、冷たい缶コーヒーを飲み終えて、目的地に向かった。琴似地区からほど近い、北○条西(きたじょうにし)地区なる住宅街に入る。
栄えている琴似地区と比べて、こちら側は開発の進んでいない区域という風情だった。まだ午後八時だというのに人通りは少ない。それだけに、目的地となっているバーの看板はすぐに発見できた。
看板は電飾が切れているようで、暗いままだ。その看板を回り込んだところに地下へ降りる階段があった。

「既視感があるね」

「あんなのは二度と御免です」

「今回はそれ以上やもしれないが」

「異変を感じたらすぐ逃げますよ」

「君が逃げられるだけの時間稼ぎが通用する相手だと助かる」

「花塚さんも逃げるんですよ」

そんな軽口を叩き合いながら、私を先頭に降り始める。暗がりの先に、小さな電灯が点いており、扉が見えた。『売り店舗』という煤けた張り紙があった。相当前からこの状態なのだろう。
本当にここで合っているのか? 一抹の不安を覚えながらも扉を叩くと、すぐに中から、ガチャリと鍵が開けられる音が聞こえた。
向こうに誰かが居る。
恐る恐る扉の取っ手を捻ると、扉は手前に開いた。薄暗い店内の出入口に、あの仮面が立っていた。白い顔を縁取るように黒い模様が波打っている。前回とは、若干模様が異なっていた。

【ようこそ、いらっしゃいました】

ボイスチェンジャーを通した声が仮面の奥から聞こえてきた。当然のように、顎先から下は厚手のマントで覆われている。

【こちらを】

仮面がマントの隙間から両手を差し出した。数瞬だけその内側が覗けたが、マントと同様の真っ黒なスーツに身を包んでいるようだった。両手には金色と、銀色のマスクが乗せられている。顔の上半分のみを隠すようなデザインのマスク。両目に当たる部分は開いており、その周囲に細やかな花をモチーフにした意匠が施されていた。仮面舞踏会。そんな言葉を連想させた。

【参加者は、皆様このマスクを着けていただく決まりになっております。なにぶん、集まりの趣旨が趣旨なので、お互いがどこの誰かなのか、詮索しないようお願い致します】

特別異存はなかった。
私は鳥居と視線を交わしてから、金色のマスクを手に取った。そして鳥居は銀色のマスクを。マスクの両端はゴムでなく、黒い紐が付いており、装飾用の眼帯のように後頭部で括って固定するタイプとなっていた。

「これで良いのかい」

腰を屈めて仮面を覗き込みながら訊ねる。

【結構です】

仮面の目の部分から、光のない黒目が覗いていた。
限りなく低い可能性だが、本田技研工業が開発したような二足歩行型ロボットのようなものを操作しているのではないかと勘繰った。だが、仮面の向こう側は間違いなく人間のようだった。顔から下も肉体を保っているのかという疑問は残るが。

【では、こちらへ。皆様お揃いです】

そう言い置いて仮面は店の奥へ入っていってしまった。仕方なく、私達もそれに続く。仮面の後ろ姿を確認してみるも、全方位くまなく黒いマントで覆われていて、髪型すら判然としなかった。
店内は想像以上に広かった。右手側にカウンターがあり、左手側のスペースに、黒いクロスの掛かった大きなテーブルが置かれている。四人掛けのテーブルを幾つか並べているようだ。
カウンターには誰も居なかったが、テーブルには既に六名の男女が座っていた。
全員がマスクを着けている。色だけがそれぞれ違っているものの、私達のものと同じマスク。そのマスク越しの視線が私達二人に集まっていた。
軽く頭を下げると、仮面がカウンター側の席の前に立って、【そちらの席に】と言った。テーブルのうち、カウンター側から見て、左手側の奥に二人分の席が空いていた。
私と鳥居は椅子を引いて、席に着いた。テーブルには、それぞれの目の前に新品のコースターだけが置かれている。

【……お時間になりましたので、そろそろ始めさせていただきます】

仮面の言葉に反応して、私と鳥居を除いた六名の男女が拍手をする。

【いつもならば堅苦しい事は抜きに、ざっくばらんに始めるのですが、本日は新しい方が四名もいらっしゃいますので、簡単に趣旨説明をさせていただきます】

仮面がコンコン、とテーブルを叩いた。手には白い手袋をしている。その音で拍手が止んだ。

【まずは、ルールその一。この会合の事を、趣味を同じくしない者に話してはならない】

【ルールその二。参加者は、提供された物を摂取するか否か、自由意志により判断するものとする】

【ルールその三。この会の参加者は、提供された物により、いかなる状態に陥ろうとも、自己の責に帰する事を、予め承諾する】

【ルールその四。主催者の正体を詮索してはならない】

最後のルールその四は、定番の笑いどころとなっているらしい。常連と思しき数名が遠慮気味に肩を揺らしている。

【そして、勿論、お掛けいただいたマスクが示す通り、参加者の皆様におかれましても、お互いが誰なのか詮索しないようお願い致します】

そして仮面は、私達と、私達の向かいに座っている二人を両手で示した。

【さて、参加者からのご紹介により、本日より参加される四名の方…… ああ、ここでもどなたからの紹介なのかは伏せさせていただきます。とは言え、全員がナナシでは御歓談もままなりませんので、それぞれこちらでお名前を付けさせていただいております。この会合だけでの呼び名ですので、お気に召さない名前であっても、どうか御容赦ください。ではまず、そちらの方】

仮面は、右手で男性を指さした。マスクこそ装着しているが、仮面のように姿を隠してはいない。恐らくは四十年配くらいだろう。

【あなたはウラヌス様。お隣の方は、アース様】

ウラヌスと名付けられた男性は口元を歪ませて、「アースだとよ。主役じゃないか」と隣の女性に笑い掛ける。二人は顔見知りのようだ。

【次に、あなたは】

仮面は左を向いて、鳥居を指し示す。

【マーズ様。そしてお隣のあなたは九番目のプルート…… としたいところですが、それは些か縁起が悪い】

「何故?」

素直に疑問を口にすると、今しがたアースと名付けられたばかりの女性が独り言のように囁いた。

「去年、ヨーロッパ南天天文台が冥王星の直径の半分に迫るような準惑星イクシオンを発見した。さらに今年に入っても、イクシオン以上の準惑星が発見されている。そのせいで、惑星の定義が改められて冥王星が惑星から準惑星へと格下げされるかもしれない。巷では俎上にも載せられていない話題だろうが、天文学会では既に何度も検討されている」

「近い将来、冥王星は太陽系の惑星と看做されなくなる…… と?」

「そういう事だな」

それきりアースは口を閉ざした。顔を突き合わせて十分と経過していないが、彼女は天文学に一日の長があるらしい事が判った。

【アース様のご解説の通り、プルートはいずれ消えかねない惑星。ちょうど八名揃っておりますから、唯一抜けているジュピターの名を、あなたに】

仮面はそう言うと、私に掌を向けた。そしてそのまま言葉を繋ぐ。

【お気づきの事と存じますが、太陽系に属する惑星の名を順番に付けております。退会なさる方が出ますと、その空き番号に新しい方を入れています。本日の参加者はその他四名。全員を含めてご紹介しましょう】

仮面は、自分の右手側から順に名前を呼んでいった。

【まず私の右から、ネプチューン様】

緑色のマスクを付けた大柄の男性が頭を下げる。ネプチューンと言うと、海王星か。

【それからウラヌス様、アース様】

ウラヌスは落ち着き払った様子で、全員に会釈をした。一方、アースは無愛想を絵に描いたように座ったまま会釈すらしない。それぞれ、天王星と地球だ。

【私の向かいのお二人は、マーキュリー様と、この会の最古参であるヴィーナス様です】

カウンター側の向かいの席に座っているのは、マーキュリーと呼ばれた妖艶な雰囲気を漂わせている女性。それとヴィーナスと呼ばれた恰幅の良いスーツ姿の初老男性だった。水星と金星。

【左手側に来まして、奥からマーズ様、ジュピター様。最後に私のお隣…… こちらも古くからの参加者であるサターン様です】

私は木星、鳥居は火星、そしてサターンと呼ばれた男性は土星だ。サターンは病人のように痩せ細った身体をしており、気怠そうに椅子の背もたれに身体を預けている。その貧相な見た目には、貴族趣味的なマスクが似合っていなかった。しかし、ベテランらしくゆったりとした動作で右手を挙げて応える。

【今夜は、以上八名様での開催となります。新しい方を含めまして、欠番なしと相成りました】

惑星に因んだ呼び名の通り、八名が定員という事か。だが、あのアースとやらの説明が正しいとすれば、準惑星が発見される以前の畜蠱の箱庭はどうだったのだろう。

「君は? 何とお呼びすれば良いのかね」

仮面に声が掛かる。質問を投げ掛けたのは、私達と同様の新参者であるウラヌスだった。
ふいに左袖を引っ張られた。

「花塚さん。あのウラヌスという男、見た事あるような気がします」

急に隣の鳥居が顔を寄せて、耳打ちしてきた。そう言われて向かいのその顔を観察してみたが、顔の半分を覆うマスクで印象が変化しているせいか、いまいち判らない。私の知人には居ない…… と思うが。

【古くから参加していただいている皆様は、私の事を“主催”と呼んでくださいますが、皆様の呼び名に合わせて“ルナ”とお呼びいただいても結構です】

その言葉を聞いてウラヌスが鼻白んだ。

「主催だというのに、単なる衛星なのか。どうせなら太陽とでも名乗れば良いものを」

【古くからこのスルク・エラマス・トクイェでは…… アイヌの人々にとって太陽と月は同一の神とされておりました。日の神ペケレチュプは“明るい太陽”を意味しており、月の神クンネチュプは“黒い太陽”を意味しております。従って、ルナはルナでも黒い太陽と考えていただければ幸いでございます】

月。黒い太陽。
私は、ルナとウラヌスの会話を尻目に先日の事件を思い出していた。地上に居るはずの私達の真上に現れた月の事を。実際は何の関係もないのやもしれない。だが、この地には月曳之縄なる伝承があるとドクターが言っていた。これらの符号を偶然と片付けて良いものか迷っていると、ルナが柏手を打った。

【それでは、今宵もスルク・エラマス・トクイェ(毒を好む友人達)こと“畜蠱の箱庭”を開催致します】

タイトルなし

もうすっかり寒くて身体の節々が痛むので、大学生時分の話でもしよう。

「タイムカプセル?」

ある日の部室で、鳥居に勉強を教えている時だった。休憩がてら、彼女と他愛ない会話に話を咲かせていたら、ふいにそんな話題が俎上に載せられたのである。
余談だが、鳥居の学力はお世辞にも良いとは言えなかった。文系科目・理系科目を問わず…… そもそも、彼女自身ですら勉強が始まる前に、「得意な科目はありません」と豪語していたほどだ。彼女が通う北星学園女子高等学校とやらのレベルは知らないが、ここは腐っても旧帝大の一つに数えられており、最も入り易いとされている経済学部でもそれなりの基準を求められる。小羽は一夜漬けを繰り返して上手く滑り込んだようだが、鳥居にはそれさえも酷だった。
従って、来年度から新たに設立されるという医学部保健学科に狙いを絞る事となった。言うまでもなく、新設された学科の倍率は高くなり易い傾向にある。だが、もはやそれに一縷の望みを賭けるしかなかったのだ。そして、それにはまず大学の個別学力検査の前に行われるセンター試験で一定以上の成績を取らなくては……。

「はい。学年主任の発案で、『未来への自分宛て』に手紙を認める事になりまして。新校舎完成記念を兼ねて、旧校舎の運動場にその手紙を詰め込んだタイムカプセルを埋めたんです。数年後の同窓会で掘り起こすんだとか」

部室の隅に座り込んでいる鳥居は、さして興味もなさそうに説明した。実際興味ないのだろう。もっと幼い頃ならまだしも、数年後に開封するとあっては認める内容も似たり寄ったりとなるのは火を見るより明らか。

「鳥居は、未来への自分に何を?」

「何も。白紙のまま、各生徒に用意された色紙で御守りを包んで、タイムカプセルに入れました」

それを聞いて、いかにも鳥居らしいと思った。
どうせ認める内容は自由なのだろうし、よほど嵩張る物でない限り、詰め込む物も自由。御守りと一口に言っても様々だが、彼女の事だから御神札のような大層な物でもないはず。

「君と縁ある水天宮の御守りかい?」

何気なく訊ねると、鳥居は急に口籠って顔を伏せた。返答に窮するほどの、のっぴきらない事情でもあるのか。
水天宮の御守りと言えば、やはり魔除け・厄除けが有名だが…… まあ、節操なく網羅している御守りもある。そういう類なのやもしれない。
と内心で結論付けたところで鳥居は小さく呟いた。

「……西野神社の、御守りを……」

「西野?」

西野神社と言えば、海神の娘である豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)を祭神としているところだ。『浦島太郎』にて登場する乙姫のモデルと言えば分かり易いか。西野神社自体は村社に位置しており、小規模ながらも氏子を有していて、立派な由緒もある。しかし、西野神社ならではの御守りなどあったか?

「縁結び、恋愛成就だな」

部室のドアを勢い良く放ちながら現れたドクターは、私の疑問に答えつつ、件の目薬をこちらに手渡してきた。

「れっ、あっ、え…… ち、違います! 違いますから!」

微かに髪の毛を逆立てて抗議の声をあげる鳥居を無視して、ドクターはマイペースに喋り始める。

「それの出処が判明した。この札幌キャンパスからすぐ西にある琴似地区(ことにちく)の路地裏で、売人が現れるらしい」

「売人? 何らかの組織を匂わせますが、これでシノギでも?」

「いや。足取りを掴んだ古美門の話によりゃあ、暴力団が背後に居るってわけでもねえようだ。普通、こういうのはチンケな半グレ何かが関わってるものなんだが…… これを売り捌いてんのは、夜中の琴似地区の路地裏にいつの間にか現れては、いつの間にか消えるって話だぞ」

ドクターはボサボサの黒髪を掻き毟って、溜息を吐いた。瓶底眼鏡の奥にある目は眠たげに細められている。疲労の色も濃い。古美門だけでなく、彼女もこの目薬の出処を独自に調査していたのやもしれない。

「……要するに、私達独会のメンバーがその売人と接触してこいと」

「物分かりが良いじゃねえか」

「危険ではないんですか」

何とか平静を装いながら、鳥居が訊ねる。するとドクターが鼻で笑った。

「危険に決まってんだろ」

まあ、そうだろう。目薬の声を聞いた窪が遠回しに警鐘を鳴らしていたのだから。売人が製薬に関わっているか否かは兎も角、目薬の悪意、製薬している者の悪意は承知の上のはず。それでも売り捌いているとなれば、売人が無関係な善人である可能性など考慮するまでもない。
ドクターから手渡された透明な目薬の容器を眺めていると、ドクターは踵を返して部室から出ていこうとしていた。私はそれを引き留めるように質問を投げ掛けた。

「人選は?」

「あ? お前に任せる。だがまあ、琴似地区って言えば繁華街だしな。夜中にぞろぞろとほっつき歩いてたら目立ってしょうがねえ。お前と、あと一人くらい連れていきな」

ドクターはそう言い残して、白衣を揺らしつつ姿を消した。
私は手元の目薬と、鳥居の顔を交互に見つめた。
第一候補を挙げるとするなら、窪になる。彼の能力もそうだが、夜中に繁華街を歩き回らねばならない事を踏まえると成人男性という要素は大きい。最悪、別行動を取る事もできる。そういう意味で言えば、同様に成人していて合気道の心得もある翼も有力候補だ。一緒に行動したくないという個人的な理由に目を瞑れば。小羽に関しては…… 微妙だな。目薬騒動の時は精神的に逼迫していたからと片付けてしまっていたが、月曳之縄の件では子供のように泣きじゃくっていた。一歩引いて冷静に判断するというイメージは未だ変わりないものの、年相応に脆いところも多い。そして鳥居…… 論外だ。能力云々ではなく、まだ高校生なのだから。

「では、花塚さん。何時頃に待ち合わせますか」

当人は行く気満々だが。
無駄だとは思いつつも、一つ年嵩の先輩として忠告だけはしておこう。

「……売人は暴力団と繋がっていないという話だったが、実際は分からない。万が一にでも」

「荒事なら、尚更」

鳥居は右手を固く握り締めて、胸を張った。
売人を追うよりも、今は自宅で真面目に受験勉強をするべきではないか、と言い掛けて合点がいった。彼女は勉強したくないから、これほどまでに同行したがっているのだ。
私は心の中で、「浪人する事になっても知らないからな」と呟いてから項垂れた。

―――

午後十一時過ぎ。私達は一旦自宅に戻ってから、改めて合流した。琴似地区が繁華街とは言え、それは昼間に限った話。すすきのという日本有数の歓楽街が側にある事も相俟って、人間の姿は多くなかった。
私はいつものワイシャツとスラックスに加えて、ベスト、ジャケットを羽織っている。一方の鳥居はハイウエストジーンズにニットセーター…… そして珍しく、髪の毛を下ろしていた。

「あまり子供っぽく見えるような髪型は避けようとしたんですが、そういうのに疎くて。結局、ストレートのままにしました」

確かに、普段のポニーテールよりも幾分か大人びているように見えた。鳥居なりに色々と考えているらしい。

「それは?」

私が鳥居の両耳に掛けられている器具を指差すと、鳥居は得意げにブリッジにあたる部分を中指で押し上げた。

「どうですか? 眼鏡を掛けているだけでも一層賢く、大人っぽく映りませんか」

もはや、何も言うまい。
適当な相槌を打ってから繁華街の中へと足を踏み入れる。学生向けのカラオケ屋、ゲームセンターなどが並んでいる通りを抜けて、点在している居酒屋の一画も抜けて、狭い路地をゆっくりと歩く。
ドクターの話では、売人は琴似地区の路地裏に出没していると言う。琴似は札幌市西区の最大エリアと言われているものの、さほど広いわけではない。さしもの私も、「札幌市南区のどこかに居るから探してこい」と言われていたら引き受けはしなかっただろう。独会のメンバー総出であっても無理筋だ。無論、琴似地区であればすぐに見つけられるとも思ってはいない。月曳之縄と同様、数日掛かりの面倒事になるのは既に覚悟していた。
なのに…… それは当然のように、何でもない景色の一部となって、そこに居た。

「花塚さん」

鳥居が耳打ちをしてくる。張り詰めたような声色。
私達は打ち棄てられている廃屋の横にあった、路地の奥を見つめていた。建物沿いに古びたコンテナが幾つか積み重ねられており、その影に潜むように、人影がある。顔は窺えない。江戸川乱歩が描く怪盗さながらの仮面を着けているのだ。

「……グリコ・森永事件では怪人二十一面相が、大阪連続バラバラ殺人事件では怪人二十二面相が現れたが、今度は怪人二十三面相かな」

私はその仮面に語り掛けながら、様子を窺った。
仮面の人物はぼんやりと突っ立ったまま、こちらを向いている。私は路地に踏み込んで近づいていった。

「奇妙な目薬の出処を探っているのだが、何か知らないかい?」

それは黒いマントを羽織っていた。背丈は百七十程度。マントとは対照的に真っ白な仮面には不思議な衣装が施されている。二本のロープを絡ませたような…… 見覚えのある模様だった。
私はひとまず、ジャケットの内ポケットから件の目薬を取り出して、仮面の人物にも見えるように掲げた。

「心当たりは?」

仮面は応答しない。
なんだか肩透かしを食らったようで、私は目薬をポケットに仕舞い込みながら質問を変えた。

「ヤクザ? それとも劇団の関係者?」

最低限の言葉で訊ねる。すぐ背後に居る鳥居には解らないやもしれないが、仮面に縁取られた模様は、間違いなく芹沢名緑のタトゥーと同じものだった。無関係とは言わせない。無言はイエスだ。
私の質問を受けて、仮面は小刻みに震え始めた。
嗤っているのか?
そう思った瞬間、仮面から…… 正確には、黒いマントの中から不気味な音が響いた。

【――こうしてお目に掛かれた事を幸運に存じます】

仮面は恭しく頭を下げた。機械を通した、無機質な言葉を吐きながら。仮面の下にボイスチェンジャーでも仕込んでいるのか、はたまた構音障害でも持っているのか…… 隣の鳥居は一瞬表情を強張らせたが、すぐ緊張を解いて気丈に訊ねた。

「あなたが目薬の売人なんですか」

仮面の目線…… 実際は隠れていてそれは判然としないが、向こうは私だけを見据えているような気がした。

【売人とは、些か語弊がありますね。確かにその目薬は我々が手掛けたもの…… しかし、売りつけた事は一度たりともありません。我々はただ、手渡しただけに過ぎません。この街の人々に】

「我々? 君達のような怪人が組織立って活動していると?」

【それは大袈裟でしょう。体系を持って纏まっているとは、とてもとても。我々は同種の志を有して群れているだけの好事家。畜蠱の箱庭(きくこのはこにわ)…… と名乗った事もあったかもしれません】

「きくこ?」

鳥居が小首を傾げる。

「……蟲毒の古い言い方だよ。今から千五百年以上前の中国に存在したとされている呪術。元朝中期に編纂された地誌『析津志』にその記述があるし、八世紀頃の日本でも盛んに行われていた」

「詳しいんですか」

「まあ、まったくの無関係でもないからね」

本流ではないとは言え、真言密教と混じり合う以前の花塚氏は呪禁道・陰陽道に長けた呪術師だったという伝承がある。事実、実家の土蔵にはそういう書物が山となって保管されていた。ほとんどが眉唾の内容だが、暇潰しとしては大いに役立ってくれた。
私は改めて仮面と対峙して問い掛けた。

「で、その畜蠱の箱庭とやらでどういう悪行を?」

再び不気味な音が耳に届く。

【とんでもありません。我々は古から続くスルク・エラマス・トクイェの慣例に従い、毒を楽しんでいるだけ】

「スルク…… アイヌ語か」

【ええ、ええ。スルク・エラマス・トクイェは、およそ七百年前から続いているアイヌ人の畜蠱、呪術です。蝦夷を脅かそうとする和人を…… 特に、幕府から蝦夷管領を任命された安東氏を殺める為の。勿論、現代ではそんな物騒な事は致しません。スルク・エラマス・トクイェとは“毒を好む友人達”という意味。その名の通り、自由意志でもって集まった好事家と共に毒を楽しむ。それだけなのです】

仮面は鷹揚とした口調で告げる。嘘を吐いているようには聞こえない。
元を正せば、札幌という地名の由来もそうだが、特にこの琴似地区はアイヌ人の主要な住処だった。故に、窪地を意味する“コトニ”なるアイヌ語をそのまま引用したと聞いた事がある。仮面の言葉を真実と受け止めるに足る理由にはならないが、この街がアイヌと深く関りを持っている事は疑いようもない。

「……その畜蠱の箱庭に参加する事は可能なのかい」

鳥居にとって私の発言は想像だにしないものだったのだろう。慌てた様子で私の袖を掴み、声を荒げる。

「いけませんよ、花塚さん。そんな訳の分からない集まりに参加するなんて」

「言いたい事は理解できるが、ここでこうして喋っていても目薬の真相は判らないまま…… 多少のリスクは覚悟して懐に飛び込むしかないだろう?」

「それはそうですが…… でも、やはり駄目です。危険過ぎます」

「大丈夫さ。参加するとしても、私一人で乗り込んでいくから」

「だから危険なんですっ!」

どちらも譲る気のない私達の会話を、仮面は値踏みするように見ていた。
時間がない。
感覚的に、そう感じた。もたもたしている間に仮面は姿を消してしまう。
私は強引に鳥居を背後へと追いやって、もう一度仮面に訊ねた。

「参加が可能なら、参加したい」

【……本来であれば会員証が必要なのですが、あなたなら…… 特別に、ご招待致しましょう】

仮面は丁寧に腰を折って、手を胸に当てつつ、頭を垂れた。

【純粋な毒とされる、あなたならば、特別に】

もう問い質す事も諦めていた。北海道まで逃げてきたというのに、誰もが私を知っている。そういうものだと思い込む以外になかった。
私は閉口したまま、仮面の首元を見ていた。背丈だけならば鳥居のほうが高い。声はボイスチェンジャーを通している為に、性別は判然としない。喉仏が確認できれば男だと判るのだが、仮面の下からマントが垂れており、喉元を探るのも困難だった。

【畜蠱の箱庭の会合は、二日後にございます。今ここで招待状をお渡し致しましょう】

仮面は、懐から封筒のようなものを取り出して、こちらに差し出した。
私は一瞬、手に取るのを躊躇した。しかし背後に退けていた鳥居が鮮やかな身体捌きで私の前に躍り出ると、私の代わりに封筒を受け取った。
そしてすぐに後ずさって、私の隣に立つと、その場で封筒を開けて中身を見た。私も覗き込んだが、日時と場所が書いてあるだけだった。
鳥居は封筒を元に戻すと、右手で掲げるようにして持ったまま、静かに言った。

「二人分、お願いします」

次の瞬間、封筒が青白い炎のようなものに包まれて、燃え上がった。そのまま鳥居の手の中で封筒は灰になり、サラサラと砂のように消えた。
あの光は、今までに何度も見てきた鳥居の魔除け…… 礫と呼ばれる除霊の武器が発する光と同様だった。
仮面が可笑しそうに肩を揺らす。

【ええ、ええ…… ちょうど空きができていたところなので、そちらの、水天宮の末裔も、是非】

では二日後の夜、お待ちしております。
その言葉を最後に仮面は踵を返して、路地の奥へと消えていった。足音も残さずに。
私の隣で、鳥居が身体を硬直させている。時間が止まったように。私も驚いていた。仮面は私だけでなく、鳥居の出自…… 家庭事情まで把握していたのである。
今晩の邂逅は、はじめから予定されていたものだったのだろうか。
私は、湧き上がってくる疑念の矛先が、自然と独会のメンバーに向いていくのを感じていた。

タイトルなし

もうすっかり寒くて身体の節々が痛むので、大学生時分の話でもしよう。

「コーヒーでいいか?」

「紅茶で」

「ああ? ガキかてめえ」

「ガキですよ。私が十代だという事を忘れたとでも?」

「うるせえ。黙ってコーヒー飲んでろ」

なら、何故訊いてきたのか。
その日、私は薬学部の触媒科学研究所に居た。薬学部棟自体は数理物理学や化学物理、理論化学の講義なども行われているので、訪れるのは初めてではない。流石にドクターが出入りしていると言う触媒科学研究所だの、遺伝子病制御研究所だのには用事がない為、新鮮な気持ちだった。
案内されるままに向かった触媒科学研究所の奥には、薄暗い廊下の先に誰も居ない一角があり、そこに据えられている物寂しいベンチに並んで座った。
ドクターは肩に掛けていた水筒で、紙コップにコーヒーを注いで手渡してきた。自販機で買ってくるものかと思いきや、随分と…… しかもブラックだった。わざわざ注いでくれたのなら、口をつけないわけにもいかない。ほんの少しだけ口に含むと、強烈な苦味が舌を襲い、頭痛となって後を追いかけてくる。
もう駄目だ。

「……それで、今日は何ですか」

涙目になりながら、話を促す。するとドクターは透明な小瓶を差し出した。

「これだ」

それは、以前に小羽が齎した、幽霊が見えるようになるという目薬だった。

「成分の分析が終わった。結論は、純水」

「ただの水?」

気の抜けた私の言葉に、ドクターが不機嫌な顔をした。

「そうじゃねえって事を、知ってんだろうが」

「まあ、はい」

ドクターは掌の中で小瓶を弄びながら、コーヒーを啜る。

「純水だが、純水じゃねえ。何か入ってやがる。希釈されて、希釈されて、大元の成分の分子すら残らねえくらい希釈された、何かの振動エネルギーみたいなもんがな」

「振動エネルギー…… あの日の、あなたの胸元から響いていた音。ああいうものが入っていると?」

何気なく訊いただけだったのだが、ドクターは今までに見せた事のないような表情を浮かべた。

「お前、聞こえたのか」

「聞こえたと言うよりも、見えました。青白い光が」

と言い掛けて止めた。思い返してみれば、ドクターの登場に驚いた者は居ても、ドクターの理解できない力…… あの青白い光や音に言及した者は居なかった。翼ですら、何も。

「考えてみりゃ、あの変態野郎の弟なんだ。別に驚く事はねえか」

変態。まさかとは思うが。

「全環を知っているのですか」

「この業界に居て変態野郎を知らん奴のほうが少ねえって。一昨年だったか? 医学部で講義してたしな。精神予防政策学とか言ってよ。厚労省の人間と組んで悪巧みしてるようだぞ」

本当にどこに行っても全環の名前を聞く。そして、どこに行っても悪巧みしていると囁かれている。実際そうなのだろう。私の知る兄は…… 全環は、そういう人間だし、真人間をやっているところなど想像もできない。あらゆる事をやり尽くして仕方なく悪人となった姉――容とは違って、産まれ落ちたその時から悪人なのだ。本人には悪人の自覚すらないと思うが。

「それより、ドクターのあの力は」

話を戻そうとした時、廊下に足音が響いた。革靴と思しき硬いものが床を叩く音。
誰かが来る。
聞かれて困るような話をしていたわけではないが、自然と口を噤む。ドクターも視線だけを動かして音のするほうを見ていた。
しばらくしてその音が間近まで寄ってくると、廊下の角から、どこか見覚えのある人相の男が現れた。四十代くらいだろうか。髪をオールバックに整えて、高価そうなスーツに身を包んでいる。いかにも紳士然とした風貌。それがこちらを認めるや否や、口を開いた。

「やはり、ここか。呼びつけるのは構わんが、もう少しマシな場所はないのかね」

「悪いな。あんたと会ってるとこを他人に見られたくねえから」

ドクターが悪びれもなくそう言うと、紳士は、「ふん」と鼻を鳴らした。
誰だ。会った事ないはずだが、不思議と初対面に感じない。誰かの身内か?
ひとり考えていると、ドクターはコーヒーの入った紙コップを持っている手を突き出して、紹介した。

「花塚。こいつが独語研究会のスポンサーだ。お前らが飲み食いした代金は、全部こいつのポケットから出てる」

「それはどうも」

スポンサーという言葉に引っ掛かったが、諸々の経費を出してくれているとなれば一応は礼を言わねばならない。窪はまだしも、鳥居と小羽の二人は一切遠慮しないし。

「花塚…… と言うと、彼が、あの」

紳士はドクターと一度顔を見合わせてから、余裕のある笑みを作った。

「話は聞いている。君には、何年も前から興味を持っていた。そうか。ようやくか」

そして、親し気に右手を差し出してくる。

「会えて嬉しい。僕は古美門間人(ふるみかど はしひと)。古美門大間の息子…… 君には、オーナーの息子と言ったほうが解り易いか?」

視界が、赤く明滅した。
頭に血が上っていくのを自覚した。奥歯の軋む音が聞こえる。
間人は右手を引いて、「怖いな」と首を振った。

「だが、聞いていたより理性的だ。一度でも殺人を犯した人間は何かと暴力で片付けようとするらしいが、例外もあるようだ。助かるよ。君達とは、特に君とは良好な関係を築いていきたいからね」

「目的は」

「大辻美子(おおつじ よしこ)という毒を取り除きたい」

私が何を訊いてくるのは前もって把握していたかのように、間人は澱みなく答えた。
大辻美子。それも、どこかで聞いた名前だ。

「お前、理学部だったよな? 地球物理とか、地惑物質とか履修してねえの?」

「あまり興味がなかったので…… この大学の人間ですか」

「天体物理の助教授。しかしまあ、あいつと接触してなかったってのは運が良い。あいつは危険人物だ。お前と同じ、まさしく“毒”って言って差し支えない」

毒を以て毒を制す。入会を迫られた日に、翼が口にしていた言葉が脳裏に蘇る。

「当座の目的は大辻美子の除去。しかし、可能であれば、彼女が自由に動けるように手を回している裏方の存在を始末したい。重要度だけならば、むしろ後者…… それが始末できれば大辻美子も大した問題ではなくなる」

「回りくどいな。簡潔に、順序立てて説明してくれないか」

「うむ…… そうだな。僕は現在、あるグループ企業の会長を務めていてね。今でこそクリーンな企業形態と言えるが、以前は違った。ひとつだけ、明らかな異物が混じっていたんだ。『超能力研究所』という異物がね」

「…………」

「驚かないのだね」

「無意味に話の腰を折るつもりはない。すべて聞いてから判断するまでの事」

間人は愉快そうに片方の口角を吊り上げた。

「非常に好ましい態度だ。僕の部下達に見習わせてやりたい…… と、無駄話は止そう。兎に角、かつてはそういう胡散臭い組織を抱えていたわけだが、一定の成果を残してしまったが為に不要な人間に不要な権力が付与された。前会長である古美門大間が超能力を甚く気に入っていたというのもある。その辺りは、君もある程度把握しているはず。跡を継がねばならない僕にとっては頭痛の種でしかなかったが、有難い事に勇気ある若者が古美門大間を葬ってくれた。なし崩し的にではあるものの、僕は即座に発展的解消を理由に超能力研究所を解体、関わっていた者達もすべて片付けた…… つもりだったが、肝心の研究所所長――正親宗市郎(おおぎ しゅういちろう)だけは行方をくらました。国内に潜んでいるのか、国外に逃げたのか、それすらも分からない。そしてその手引きをしたのが、君の兄である花塚全環。正親は未だ我が企業に裏から口出しをしては、良からぬ事を画策しているようだ。大辻美子をバックアップしているのも正親だと判明している。クリーンな企業形態を売りにしているうちとしては、訳の分からないスキャンダルなど抱えたくもない」

「そこまで判明していて、全環を処分しないのかい」

「無論、したいね。できるのならば。だが、そこまでは求めていない。大辻美子と正親宗市郎が“毒”ならば、花塚全環は“怪物”…… こちらもただでは済まない。なにせ、花塚全環は超能力研究所の後継機関として不老不死に関する研究所を新たに創設していた前歴がある。解るだろう。あの怪物に、一度は懐まで近づかれたんだ。あんなものを相手にしていては命が幾つあっても足りない。だから可能な範囲で毒を取り除きたいんだ。それ以上は望まない。コンクリートと共に溶かされた部下を海から引き上げるのは、もう懲り懲りでな」

「コンクリート?」

「ああいや、気にしないでくれ」

穏やかではない言葉が間人から飛び出したが、彼は追及を拒むように両手を振った。表情にも先程までの余裕がない。

「……とりあえず、処分したい人間が居るなら、専門家でも雇えば良い。こんな大学の研究会に頼る必要がどこにある」

私が問い掛けると、ドクターはコーヒーを煽ってからぼそりと呟いた。

「消毒は順調に進んでる。お前、片目の道に続いて、謎の転落死事件を解決したらしいな。翼も喜んでいたぞ。もう気づいてると思うが、この街ではそういう不審死が数年前から多発してる。県警でもシークレットマターとして扱われてて、なかなか表に出てこねえがな。その不審死に大辻美子と正親宗市郎が関わっている疑いがある。いや、正親に関しちゃ完全に黒だ。だから始末したい。消毒が目的の私と、スキャンダルを未然に防ぎたいって古美門の利害が一致したってわけだ。私はその為の有用な人材を探し出す。古美門には有形無形の根回しをしてもらう。カネもそうだが、あの鎮魂碑も今頃はこいつの手によって新調されてる頃だろうよ。伊達に幾つもの建設会社を抱えてねえってわけだ」

「その通り。君達五人が気兼ねなく動ける場を提供するのも、僕の仕事だ」

「五人?」

間人の言葉に耳を疑った。
五人。どういう事だ?

「ドクター。独会のメンバーは現在何人居るのですか。設立当時などではなく、今の会員数です」

「あ? んなもん、五人に決まってんだろ。私は含めんなよ」

嫌な胸騒ぎがして、私はベンチから立ち上がった。

「おい、どうした」

「部室に行きます」

私は呆気に取られている二人を残して触媒科学研究所から走り去った。

―――

部室には既に独会のメンバーが揃っていた。息を切らして現れた私に、部長である翼が目を瞬かせている。

「翼。葛西はどこだ」

葛西は、いつも肝心な時に居ない。月曳之縄の件の初日以来、部室に顔を出してもいない。あの時は、「出番はない」などと宣って不参加を表明していたが、結果的に見れば、燃焼能力は縄に対して有効だったはずなのである。
私に問い掛けられた翼は、珍しく返答に困っている様子だった。

「花塚君、それは些か……」

窪が怪訝な顔で歩み寄ってくる。

「冗談でも、それは駄目ですよ。花塚さん」

鳥居も窘めるような言葉を吐く。
思いもよらない反応の数々に、こちらが困惑してしまう。

「てか、なんで糾が葛西ちゃんの事を知ってんの?」

小羽は不思議そうに言った。それに続いて、翼がゆっくりと告げる。

「あなたが言っているのは葛西真一の事よね?」

「勿論」

「……葛西真一は、去年の冬に、亡くなっているわ」

その時、私は、頭を殴られたような衝撃を受けた。
死んで、いる? それも去年の冬に?
そして、つい先日見たはずの、文庫本に集中しているあの横顔がバラバラと無数のピースに分かれて、崩壊していくような様を、私は幻視した。
思い返せば、入会の為にここへ連れてこられてから今日まで、ずっと、葛西と会話をしていた人間は居なかった。葛西は私達の会話に混ざり込んでいるようで、混ざっていない。誰も反応していない。都合良く、会話が繋がっていただけだった。
私は力なく部室の天井を仰いだ。
ようやく慣れ始めたと思った独語研究会の部室が、異様な空間に変異していくような、そんな感覚に捉われて、立ち眩みにも似た不快感に襲われた。

タイトルなし

もうすっかり寒くて身体の節々が痛むので、大学生時分の話でもしよう。
私はその日、独語研究会の部室で漫画を読み耽っていた。
誰の私物なのか定かではないが、ここには見た事も聞いた事もないタイトルの少女漫画が幾つか置かれていた。何気なくそのうちの一冊を手に取ったところ、これが存外に面白く、次の巻、次の巻…… と読み進めていくうちに一日はあっさり潰れてしまった。

「平和なのは有難いが、こうも自堕落な時を過ごすのも気が引けるな……」

右腕の腕時計に目を落としながら、独り言ちる。
部室には他に誰も居ない。私は椅子から立ち上がって、凝りに凝った身体を解すように背伸びをした。
それにしても、この少女漫画…… 最後の巻が尻切れで終わっていたが、続巻はないのだろうか。非常に気になる。明日にでも持ち主を訊かなければ。部長である翼か、はたまた小羽か…… いや、鳥居という可能性もあるのか? まさかドクターではないだろう。
などと考えながら、電気を消して部室を出た。
外から鍵を掛けようとすると、鍵穴に嫌われたのか上手く奥まで挿し込めない。幾度か左右に捻じるように力を入れ、半ば強引に施錠した後、引き抜いた鍵を見て私は首を傾げた。
いま私が手にしている部室の合鍵は、小羽が持っている合鍵の複製。その小羽は窪の複製で、そして窪は翼の複製だと言う。
本物の鍵と比較すれば、明らかな劣化が出ていてもおかしくない。
勿論、その道の専門家ではないので個人では対処しようがない。だが、事実こうして鍵穴に嫌われる現状を顧みるに、由々しきとまでは言わないまでも無視できない事態のように思える。
簡単に複製が可能な鍵は兎も角、鍵穴のほうは容易く替えが利かない。劣化品で強引に開け閉めを繰り返して、鍵穴に不備が生じたら面倒だ。ここは一旦、翼が所持しているマスターキーから複製してメンバーそれぞれに配るべきなのではないか?
銀色に輝く真新しい鍵をポケットに仕舞い込みながら、私はそんな事を考えていた。
疎らに明かりが点いている廊下を通り、外の階段から出ようと踊り場のドアノブを握った。
その時だった。
私は誰も居ない廊下を振り返った。意味もなく。
人間の気配を感じたわけでも、何らかの感覚器が働いたわけでもない。何故振り返ったのだろうか。自分でも解らなかった。
心臓の音が、少しだけ早くなった。
私はしばらくその場に立ち止まった後、踵を返した。
そして再び、独語研究会の部室の前に立つ。
何故だろう。振り返った理由も解らず、踵を返した理由も解らないままに、何故か私は部室に用があって戻ってきた。言い様のない不思議な感覚だった。
ポケットに仕舞っていた鍵を取り出し、何度も引っ掛かりながら、鍵穴の中で捻じった。
ゆっくりとドアを開けると、つい先程消したばかりの明かりが点いていた。さらに、無人のはずの部室に一人…… 女性が居た。
翼の特等席である椅子に座って、机の上にノートを広げている。メンバー達が書いているサークルノートだ。活動に関する事が簡素に記されているだけの、ただのノート。
私はいつだったか、駒延から聞かされた事を思い出していた。

『花塚君達が使うてるあの部室な、幽霊が出るって話や。髪の長い女の幽霊。生協の人が言うとったわ』

しかし、いま目の前に居る女性は明らかに幽霊ではない。
誰だ? いや、その前にどこから……?
私は咄嗟に部室内を見回す。生身の人間がどこからともなく湧いてくるはずがない。
奥のガラス窓は、閉まっている。あそこは頻繁に鳩が入り込んでくるので普段から開ける事はない。なにより、下は足場も何もない三階の窓だ。
次に左の壁を見た。全面が棚になっている。その上部、天井と棚の最上段との間に三十センチほどの隙間がある。隣は落語研究会の部室だ。三十センチ…… 細身の女性なら通れなくはない隙間だが、こちら側も向こう側も段ボール箱をずらりと並べており、互いに覗けなくなっている。
だが、その段ボール箱の群れにも異変はない。
私がこの部屋を離れていたわずかな間に、隣の落語研究会から段ボール箱をどかして侵入し、元に戻した? そんな事が果たして可能なのだろうか。そしてその意味は?
そうした様々な疑問が私の頭の中を駆け巡っていた。
女性がノートから顔を上げ、こちらを見てにこりと微笑んだ。
外国人。ブロンドの白人女性だ。私は、その美貌に目を奪われた。妙に現実感がない。翼もかつてはミスキャンパス候補に選ばれた経験があるらしいが、目の前の女性はものが違う。もはや恐ろしくすら感じてしまうほどに。
彼女はゆったりと翼の椅子から立ち上がった。スラリとして、尋常でなくスタイルが良い。身長は百八十に届くかどうか。
私は、彼女の瞳に魂を吸い寄せられるような気さえした。微かに紫がかった、鮮やかな碧い目に。
その瞳でこちらを見据えながら、彼女は口を開いた。

「ハナヅカアザナ、ですネ」

日本語だ。やや、たどたどしいが。

「こうシて会うのは、初めテ、でシょうか」

「……どちら様かな」

「アハ。警戒シないでくだサイ」

彼女はそう言って近寄ってきた。

「ホホー…… 聞いてテいた通り、背が高いデスネ」

見比べるように私の頭の天辺を見る。

「何故ここに?」

思わず抽象的な問い掛けになってしまった。しかし彼女から返ってきた言葉は、私の想像だにしないものだった。

「独語研究会の先輩ですヨ? ワケあってナカナカ来られないので、時々こうしテ、ノートを見せテもらってマス」

「先輩……?」

「私ガ、会員番号002。翼ガ001。十子ガ003…… 独語研究会創立時ノ、オリジナルメンバーデス」

そう言って、彼女は再び微笑んだ。
独語研究会のオリジナル…… 心当たりは、ない事もない。いや、ひょっとしたらまだ全員揃っていないのではないかという朧気な疑念は持っていた。

「葛西ガ004。005は、幽霊部員。ソートーな恥ずかしがり屋サンなノデ、ゼンゼン、来てくれまセン。卒業も危ういノニ。それから窪ガ006、翼ノ妹ノ小羽ガ007。そして鳥居ガ008」

彼女は部員達を指折り数えた後、最後にこちらを指差した。

「最後が、アナタ。009。九番目の会員。エースナンバーですネ。アナタは、そういう星ノ下ニ、あるノでショウ」

009…… いよいよSFじみてきた。
私は自嘲気味に笑うしかなかった。

「それで? 結局、目的は何だ」

「解りマセンカ…… 私ハ」

彼女はそう言いながらさらに一歩足を踏み出し、私の手を取った。身体が硬直する。血液の通っていない、冷たい手だった。

「私ノ名前ハ、イオリス」

彼女はその碧い瞳で私を見つめつつ、握手した右手を振る。

「独語研究会へ、ヨーコソ。私ハ、アナタを待ってイタ」

それは映画で見るような、艶やかな笑顔だった。主人公が問答無用で恋に落ちてしまうような。
“イオリス”と名乗る艶美な女性は、さらに言葉を紡いだ。

「この街ハ、猛毒に侵されテいマス。そして、それヲ利用したい者ガ舞台へ上がろうとしてイル」

「何が言いたい」

「いズれ、解る時ガ来るでショウ」

彼女は私の問いに答えるような事はせず、囁くように告げてきた。

「誰も消毒ナンカ、興味ナイ。或ル者は維持ヲ、或ル者は死滅ヲ、或ル者は混乱ヲ…… アザナ。アナタはどうスル? 来たるその日マデ、ちゃんと、考えておくように」

「あ」

握っていた手の感触が瞬く間に消えた。そして次の瞬間、彼女の存在そのものが希薄になり、まるで墨が水に溶けるように消えてしまった。しかし、その笑顔の輪郭だけが空中に残り、こちらを捉えていた。
消えた。
人間が、一瞬で。
そもそも本当に人間だったのか?
幽霊の話を、また思い出す。だが幽霊には見えなかった。本当に生身の人間としてそこに在ったのだ。
私は不安な気持ちで部室を見回した。
ただ机の上に広げられたサークルノートだけが、そこに残っていた。

―――

翌日、私は部室に仕舞われている活動報告書を片っ端から検めていた。去年の今頃、小羽が高い画素数を誇る携帯電話に機種変更して写真撮影に傾倒していた為か、それにはやたらとメンバー達の写真が収められていたのである。撮った本人としては趣味の一環なのだろうが、これもサークルノート同様、ある種の活動記録として扱われている。
私はその大量の写真の中から、見覚えのある人物を見つけ出した。
居た。本当に。
昨日遭遇したばかりの外国人女性の幽霊…… 彼女の顔に、見覚えがあった。

「翼」

部室には翼と窪、鳥居が居た。私が問い掛けると、三人は顔を突き合わせて報告書を見つめた。

「この女性は?」

「あら。イオに会ったのね、花塚君」

写真を見ただけで、翼は断言した。お見通しらしい。

「うちのメンバーよ」

「ああっ! 生霊のイオリス先輩だったね!」

窪が爽やかに笑って写真を指差す。

「この時も、わざわざ部室まで寄ってくれたのだよ! 学校が休みだからとね!」

「ええ。イオは私の幼馴染なの。今はアメリカの学校に通っているわ」

「翼の幼馴染で…… 生霊?」

困惑を隠せずにいると、鳥居が会話に参加してきた。

「わたしも初めて見た時は驚きました。どうやら、幽体離脱が得意で、アメリカに居ながら世界中を飛び回れるとの事です。世界中の、どこにでも。凄いですよね」

幽体離脱?
私は鳥居の言葉をそのまま鵜呑みにできなかった。あれは、そんな生易しいものではない。鳥居の感覚ではそう受け取ったのやもしれないが、私にはそう感じられなかった。
目の前で一瞬にして消え失せるまで、彼女は、確かに生身の人間としてこの世に存在していた。
その証拠もある。あのサークルノートだ。今日になって見返してみると、所々に“イ”という署名らしきものと共に、メンバーの書き込みに対して短い感想が書かれていた。内容自体は、『私もそのオバケを見てみたかったです』だとか、『とても面白い話でした』だとか、何の変哲もない言葉ばかりが並んでいたが、それを誰も居ない深夜の部室に忽然と現れた彼女が書いているのかと思うと、気味悪さが勝ってしまった。
彼女は生身のまま現れ、そして生身のまま消えていくのである。
その現象を表す言葉を、私は知っている。だがそれは…… 他人の声を聞くという窪の能力、透視とも言える小羽の能力、鳥居の除霊を実際に見た後でも、にわかには信じ難い。
テレポーテーション。
語弊があるやもしれないが、三人のそれとは次元が違う。しかも海外から遠く海を渡って……? だとすれば、もはや“超能力”の一言で片付けられるものとは到底思えなかった。
唖然としている私を、翼はしげしげと眺めていた。

「イオは美人だったでしょう? まるでスーパーモデルよね。出会った頃は私と変わらない背格好だったのに、見る見るうちに成長しちゃって、今は見下ろされちゃうわ。私も背は結構高いほうなのに」

翼は自分の頭に手を乗せて、おどけるように笑って見せる。
そのはぐらかすような口調に、彼女がイオリスの能力について教えるつもりがない事に気づいた。こうなれば、何度問い質しても暖簾に腕押しだろう。
私は適当な相槌を打って、報告書を棚に仕舞い込んだ。
この独語研究会には、未だ私の知らない…… 或いは意図的に知らされていない秘密が沢山ありそうだった。

タイトルなし

もうすっかり寒くて身体の節々が痛むし、いよいよ両目共に機能しない日もあるし、輸血する気にもなれずに貧血に喘ぐ日々が続いているので、大学生時分のおさらいでもしよう。

―――

佐伯十子(さえき とおこ):北海道大学院臨床薬学コースの生体分子薬学専攻、分子細胞医薬学研究室所属。年齢不明。気づけば彼女はそこに居た。その存在を認知されていなかっただけで、防人のように見守り続けていた。私達に干渉する日は決して訪れない。そう思っていた。彼女自身でさえも。

天見翼(あまみ つばさ):北海道大学工学部量子物理工学専攻、四年生。彼女がすべてを始めたわけでもなく、彼女がすべてを終わらせるわけでもない。ただ運が悪かった。彼女は運悪く、未来を視た。独語研究会の末路など取るに足らない。彼女が視たのは、死そのものだった。その未来から逃れようと足掻いている。意味などないと解っていても、見苦しく足掻かざるを得ない理由があった。

葛西真一(かさい しんいち):北海道大学農学部応用生命科学専攻、四年生? 生人と死人の境を歪めてはならない。誰よりもそれを理解している彼は、遂に新たな方向性を見出すに至った。彼は命を軽視しているわけではない。私達が重視し過ぎたのである。

窪命(くぼ まこと):北海道大学文学部人文科学科専攻、三年生。正親宗市郎主導の下に行われた、超能力研究なる馬鹿げた機関は失敗に終わった。しかし、それ以上の成果を残したようだ。彼はその残滓であり、犠牲者である。他者の声は、着実に彼を蝕み続けている。誰よりも優しい彼はそれでも耳を塞がない。聞こえてくる声を無視できない。だからこそ、気づけない。自分自身の心が発している悲鳴に。

天見小羽(あまみ こはね):北海道大学経済学部経済学科専攻、一年生。今はまだ、飛び方すら解らない生まれたての雛も同然。彼女が活躍の場を得るのは、来年度以降…… あらゆるものを失って、失って、その身体が軽くなって、ようやく飛ぶ事を覚える。彼女はやがて、壁の一枚向こう側を見通す能力だけの人間だという自分自身の認識を改める。壁の向こう側が見えるという事は、生まれる前の殻の中から既に外を見通していたわけなのだから。

鳥居繭(とりい まゆ):北星学園女子高等学校、三年生。彼女には特別な能力があった。それ故に構造の一部として組み込まれて、その運命を決められてしまった。彼女の存在は矛盾を生む。物事の本質を歪める。存在しない存在を作り出す。しかし、今のところはまだ、その自覚もない。

駒延裕羊(こまのべ ゆうよう):北海道大学理学部数学科専攻、一年生。色々な意味で至極真っ当な大学生。理性的に、感情を振り回す。どうしようと、なるようにしかならない。導き出すまでもない。それは数学的諦念とも言える。だから待つ事にした。否応なく突き付けられる覆しようのない数字と向き合いながら、待っていた。それが裏切ってくれる時を。

虹:北海道大学の学士課程を四年で満たせず、五年でも満たせず、いよいよ六年目となってしまった落伍者…… らしい。北海道大学における学士課程の終業年限は八年。来年度までに卒業できなければ、虹の色を超える。

古美門間人(ふるみかど はしひと):主に東北・北海道の製薬会社、ゼネコンを擁する企業グループの会長。目の上の瘤でしかなかった実父の大間が逝去して、その空席を埋めるように彼は深く腰を下ろした。気負う事もなく、舞い上がる事もなく、冷静に。ひたすら冷静に、政敵に成り得る人間達を始末していった。今の彼に敵となる者は居ない。味方となる者も。

大辻美子(おおつじ よしこ):北海道大学理学部天体物理科の助教授。■歳。今更、説明の必要もない。

正親宗市郎(おおぎ そういちろう):かつて、古美門間人の父親である大間の肝煎りによって設立された超能力研究所の所長を務めていた。憐れにも一度の成功体験で万能感に酔い痴れて、身の丈以上の結果を欲するようになる。虎の尾を踏んだ事にも気づかずに。勿論、それは私ではないし、ドクターでもない。彼は知らず知らずのうちに、全ての環から外れている者の目に留まった。期限は、もうそこまで迫っている。

芹沢名緑(せりざわ なづな):指定暴力団山口組の二次団体であり、札幌市に拠点を置く『源清田会』から枝分かれした芹沢組組長の養女。巻きつくように彫られた両腕のタトゥーは永続性を象徴するかのように胸元で結ばれており、裏も表もない。しかし、それこそが彼女の非永続性、二面性を如実に表している。彼女は純粋過ぎた。故に失望を裏切りだと感じて、偏愛は憎悪へと変貌した。それが倒錯的な肉欲に転ずるとすれば、生き別れの兄妹だったという荒唐無稽な話にも多少の説得力が出るやもしれない。

イオリス:不明
プロフィール
窓さんのプロフィール
性 別 男性