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ついに今年も。

ほとんど野いちごにログインできずにいる。

その理由はただ一つ。

『確定申告』だ。

今年もついに決算が近づき、毎年毎年確定申告と戦うあたしは、「今年こそは早めの申告を」と今の時期から取りかかるのに、結局はいつも、『ギリギリ投げ込み申告』で後で税務署に呼び出しを受ける。

つい、他のことに頭がいくんだもん。

今はインターネットで申告ができるのだけど、それを申し込むのをつい忘れ、結局手書きで今年も申告。

とは言っても、パソコンで帳簿管理はしているので、申告事態は簡単にできるのだ。

だけど、担当の人によっては、呼び出しの時に『レシートやら領収書やらを全部見せろ』とお抜かしになる。

それが問題なんだ。
毎年マメにノートにはっておこうと思うのだけど、そこがO型。

気がつくと、箱の中に領収書がいっぱいたまっている。

どーして、そんな単純作業が毎日できないのだろう。

単純作業もたまると単純作業ではなくなるのだ。

毎日でなくともせめて、三日に一度、帳簿をつけたついでに、じゃあ貼ってしまおうと思えないのだろう。


完全な欠陥性格だ。
極度のめんどくざがり。


あーーやんなんちゃう。

誰かに任せてしまえば楽なのに、小さな居酒屋なんかにはそんな余裕はない。


いいんだ。
がんばるもん。


とか言いながらものんきに執筆はする。

この際、早く小説だけ書いてていい人になってしまおう。

それがいい。







なにか?









ではでは。
昨日の『大人のなぞなぞ。』の答えをば。



よくよく考えてみよう!!

三人の出費は計2700円。

そこから値切って買った本の代金2500円と、A君のネコババしたお金200円をひくと。


0円。


はい。全くもって問題はないのです。


もともとの本の代金3000円という数字は、値切られて2500円になった時点で、消滅しなければならなーーい!!


従って、その100円は最初から存在してないということでした。



大人のなぞなぞ。




だけど、


あの馬鹿息子優は、三分で答えました。

「問題の意味がわからん。2500円の本と、200円足したら丁度やん!なんで100円でてくんの?」


これはある意味、悲しむべきことかもしれません。

なぞなぞ。

みなさま、バレンタインはいかがお過ごしでしたでしょうか。

あたくしと言えば、息子優が元気に、この日も丸刈り7人組と遊びにでかけたのを見送り、いつもより多めに奴と長話。

完全バレンタインをスルーした私に対して

「ホワイトデーはお返しに何がほしい?」

と、奴。


あれ?
チョコ欲しかったんだ。なんだ。


つうか、イヤミでしょうか。


あはは。



意外と結構イヤミったらしく、

「一人でコンビニで『トッポ』買うた」


なんてぶつぶつ言っていた。


とことんスルーしよう。あたしがガーナの板チョコをほしいぐらいだ。

自分で買うけど。




なんて、かなりの意地悪をしたせいか、 今日の話題は奴がどっかから仕入れてきた大人のなぞなぞ。


全くわかんない。
わかんなすぎて、胃に穴があいてしまいそう。


奴は答えを知っているので、全くわからないあたしを執拗に攻める。


「作家ならこれぐらい理論で説明せーや」



くやしい。
めちゃくやしい。





そこで


『大人のなぞなぞ。』


初級編


ちなみにこれはあたしも簡単にわかったじょ。


お暇なら答えてみてくださいな。



A君に、B、C、Dの三人が千円ずつ出して、三千円の本を買うのを依頼した。

A君は買い物上手。

しっかり五百円を値切って買い、ちゃっかり二百円を着服して、残り三百円と本を三人に渡した。
三人は喜んで、おつりを百円ずつわけた。

そこで問題!!

B、C、Dは一人九百円ずつ出したことにになるので、三人の出費はあわせて二千七百円。

これにA君が着服した二百円を加えると二千九百円になり、最初の三千円より百円少ない。不足の百円はどこに消えたのだろうか?



さあ、みなさん。

考えてみましょー





答えは覚えていれば明日にでも。



一粒一万円のイチゴ。

わあびっくり。
日付が変わり、2月14日。
至る所で甘い香りが漂う今日。


全く興味のないあたしは、ほんとに可愛くない。だけど、これは親心。

また今年も貰えそうにないバカ息子優のために、親や姉が浮かれていては申し訳がたたないと、あえて今年は「バレンタインは今年はないらしいぞ雰囲気」でスルーすることに優来と協定を結んだのだ。

したがって奴も貰えない。
つうか奴はいらないだろう。



そんな訳で、このブログの記事もバレンタインはスルー。


スルー。


だって、
朝からスッゴいものみちゃったもの。

一粒一万円のイチゴ。

どーですかそれ。
朝食を作りながらテレビを見ていたので、詳しいことはわからなかったけれど、確かに普通の大きめのイチゴよりかなりデカかったけれど。


そんなに美味しいのか。だから一万円なのか。


いや、一万円だから美味しいんじゃないのか?


とまた、ひねくれ歩慈寧衣は皮肉の一つもこねてみたくなる。


日本人ってそういう所があるもの。


ブランドに流されたり、噂や流行に流されたり、値段に騙されたり。


そのものの価値をちゃんと見ていますか?
と、時には自分に問いかけてみよう。

ブランドのロゴが入っていなくても、そのバックの良さがわかりますか?

人から薦められたそのラーメンが、百発百中美味しいと思いますか?

味覚ってそれぞれ違うでしょう。


「今年の流行はこのブーツ」と言われても、心から可愛いと思ったことありますか?


あたしはまずない。

毎年、毎シーズン「それのどこがいいの?」と首を傾げることが多い。

ブランド品なんて、ロゴを外されたら全く識別できない庶民。

高けりゃブランド品ならいいって考えは大嫌い。
だけど、安物買いでもない。


自分が心から気に入っている物にはいくらでもお金は出す。逆にそれが例え、ファッションセンターに売っている1900円のTシャツであっても、気に入ったなら堂々と着て歩く。

要するに、人が決めた価値に左右されたくないだけだ。



だけど、こういう世間一般の高級思考というか、高級なら安心だと完全に思いこむことが、今の世の中を作り上げている気がするのだ。


少し前日本中を賑わした偽装事件も、このような消費者の高級思考から起こる、しわ寄せのようにも思えてしまう。

○日本産の物じゃないと食べない。

○賞味期限を越したものは食べない。

○牛肉100パーセントの物じゃないと食べない。




それなら高くても買います。
それ以外は危険だ。





なんて声ばかりがあがって、それがあたかも正しいかのように、それが消費者の声だなんて、どこかが強く声を高らかにする。



だけど、正直、あたしはどうでもいい。
安心だと、その会社が自信を持って言うのなら、あたしはどこ産だっていい。

賞味期限を越していても、まだ食べられるのなら、「二日越しちゃってますけどいいですか?まだまだ美味しいですよ。安くしときます」と正直に教えてくれたら、私はドンドン買っちゃう。

牛肉ちっとも入ってないっすけど、普通にビーフコロッケ!食べたらびっくり。値段はビーフコロッケの半額!!


なんてPOPを見つけたら、あたしは喜んで買うけど。



庶民はそうじゃないだろうか。

高けりゃ安心なんて言ってるのは、上流家庭の奥様だけじゃないだろうか。



そんな上流家庭の声だけをきいて企業が戦略をたて、結果嘘をつくから国民は怒るのだ。


あたしは正直、安全で美味しければなんだっていい。


赤福のあんころも大好きだった。

賞味期限が切れたのなら、さすがに人様にお土産に買うのは無理でも、自分がうちで食べる分には全く問題がない。

それを少し安くしてくれればもっと嬉しい。



正直に言えばいいのだ。『賞味期限なんて、二三日過ぎても全然大丈夫だ』って。

だけど、絶対に嘘はつかないと約束してほしい。




食べ物を簡単に捨て、粗末に扱うのが当たり前の世の中は、絶対におかしい。

とは言いつつも、居酒屋も飲食店。
泣く泣く捨てなきゃいけない時もある。


「腐る少し前の肉が一番美味しいんや」と嘆くしんちゃんの声が痛々しく響く。


今に罰があたる。
もったいないお化けは、きっと近くにいるはずだ。







一粒一万円のイチゴ。



どんだけ美味しいのだろう。







だけどあたしは、モロゾフより、ガーナの板チョコの方が断然美味しいと思う。






ただの味おんち。

熟睡する方法

あたしは昔から夜型人間で、朝まで起きている習慣が根強く備わっている。

これは本当に成功したいと考えている人間にとっては、まず何よりも改善しなければならない習慣らしい。


人間は夜寝て朝起きる生き物で、カラダのメカリズムがそうなっているからだ。

夜寝ないで平気なのは、完全にメカリズムがおかしくなっているということだ。


その上、あたしの場合睡眠時間も恐ろしく短い。平均三四時間といったところだろうか。

寝ると死ぬ!と言わんばかりに、寝てるともったいないぐらいに思う自分がいる。


それなのにかなり元気。

その理由はおそらく、1ヶ月に二度ぐらい一日中爆睡をすることがあり、そのへんでバランスをとっているのかもしれない。


それと、毎日短時間の睡眠でも、爆睡できることだ。

どんなに明るくても、どんなに賑やかな中でも、寝ると決めたら集中して熟睡できる奇特な人間だからだろう。


あたしが熟睡するには、いくつか秘訣がある。
まずは、それが朝であっても、昼であっても、夕方であっても、必ずお布団の中で眠ることだ。

コタツの中だとかで、うたた寝なんかをしない。
元々家ではお化粧をしないタイプだけど、出かけた後は化粧を落とし、できる限りパジャマ等に着替え、完全リラックスタイムで眠りに入る。

寝ることに躊躇はしない。

そのためには火事などやるべきことはきちんと片付け、用事はすませた後で堂々と眠るのだ。
「こんな時間に寝てちゃ人間失格だ」なんて思っちゃいけない。
寝ない方が人間失格だ。やるべきことをやったら、なにも恥じるべきことじゃない。

そして布団に入ったら必ず目覚ましをかけ、起きなきゃいけない時間をきちんと設定し、安心して目をつぶる。


そしてこれが肝心。
必ず妄想タイムに入ること。
超幸せな自分を思い描き、幸せ気分で眠りにつくことが熟睡できる最大の秘訣なのだ。

だけど稀に、あまりにも幸せ気分になりすぎて、ワクワクしすぎて逆に眠れない日もあるから要注意だ。
ワクワク感には日頃から慣れておかなければならない。



そうすれば、必ず熟睡ができる。熟睡できれば、たとえ短時間の睡眠でも、あまり体には影響はないようだ。




だけど、心に心配ごとや悩み事があると、夜になると不安が増長し、眠りにつけないことがある。

あたしが夜眠れなくなったのも、数年前のそういう不眠症からだ。


朝が来るのが怖い。
夜眠ってしまうと、朝があっと言う間にやってくるからずっと起きていたくなるのだ。

みんなが寝静まっている時間は、誰とも接触しないですむので、妙に心が休まるのだ。


そんな毎日を繰り返しているうちに、今となっては仕事柄もあって、体内時計が完全に私を夜型人間にしてしまった。


だけど、今は、真剣に朝方人間になりたいと思っている。


『早起きは三文の徳』


朝日から受け取るパワーは、絶大なものらしい。私が春になるとテンションが上がるのも、春から夏は毎朝朝日を浴びて走っているからだろう。


朝から気持ちがいい。




もし、今不眠症で夜眠れない人がいたら、起きたままでもいいから朝になったら外に出て、朝の光をいっぱい浴びてみよう。


そして、やるべきことを朝のうちにすませ、眠たくなったら堂々と爆睡してみよう。

仕事で眠る時間がない人は、それでも人間いつか眠くなる。

眠くなるまで起きてやれ。眠れないのに無理に寝ようとするから、余計つらいのだ。


眠れないないなら寝なくていい。

眠くなったら堂々と眠ればいいのだ。





夜に寝て朝起きる生活が理想だけど、それができない自分を責めることはない。


できないならできないで、何か気持ちを変えるだけで、スーッと気持ちが楽になるものだ。





不眠症で悩んでない人にはどーでもいい話だけど。

なんとなく、そんなこと思いました。





もう朝です。
今日はこのまま起きていよう。



バカとハサミと占い。

昨日は思わず「ついに春が来た!!」と叫びたくなるほどのいいお天気だったけれど、今日は夕方から大雨と雷で、一気に春気分も覚めてしまった。
せっかくの休日も、朝から部活の優の弁当づくりから始まり、いつもと何も変わらない一日。
相変わらず夕方まで連絡のなかった、奴からの放置にも助けられ、じっくり執筆に向き合ったりなんかして。


一日静かだった。
優来も珍しく祝日にお休みがとれたようで、静かにパソコンに向かい何やらやっていた。

子供が大きくなると、休日は静かだ。
休みになるとギャーギャー騒いでたあの頃は楽しかったな……。


なんてしんみりしながら夜一人でドラマを観ていると、「キイナ不可能犯罪捜査官」なるドラマをやっていて、初めて見てみた。


今日は「占い」がメインテーマ。

あたしの大好きな占いがなぜ当たるかっていうのを、理論的に説明していたけれど。

なぜ当たるか。

それはきっと、「当たると信じているから」だ。
あんなものは言ってみれば統計学なので、極端な話、半分は当たり半分は外れるのだ。

だから信じている人からすれば50%の確率で当たった場合だけを妙に記憶するのに対し、信じていない人は、当たったことも、外れたことも忘れてしまってるのだろう。

だけど、こんなものは当たると思っていたら当たり、外れると思っていたら外れるのだ。

イメージトレーニングと同じようなもの。


朝必ずやっているテレビの占いで、自分の星座が一番だと思わずガッツポーズがでるものだ。

占いが大好きな私みたいな奴は、それだけで一日気分がいい。
気分がいいと、何事もポジティブ思考でいられる。
だからいいことを呼び寄せるのだ。


逆に『ざ〜んねん!!』なんて一番最後なら、ブチっとチャンネルを変えられる。

悪いことは見ない。
聞かない。
信じない。

一層のこと、順位なんかつけずに、いいことばっかり言ってくれればいいのに…なんて思ったりもする。






占いがすべて当たるなんてのは有り得ないし、その結果ばかりを信用した生き方は問題だ。

それに、半分脅しみたいな占いもある。
不安に不安を募らせるだけのものもある。


中には、本当に超能力者だと言う人もいるのかもしれない。


そうであるならば、お金儲けばかりしていないで、このドラマのように捜査に協力するだとか、世の中に貢献すればよいのにな……なんて。


バカも、ハサミも、占いも、使いようだと思うけど。



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