主に殺人絡みの犯罪史を読むのが好きで、殺人衝動に目覚めてしまったものとそれを差し向けられてしまったものの健やか生存ルートを見出だす必要が私にはあると感じていて、それはかつて自分をコントロールしようとした母を刺さない為であった
奏功したかは知らないが、私の中で母は今ではどこか悲しい考えの多い人であるとは思えど憎むべき対象では無くなった
私がそうであったように、母にも理由があったのだとだけ思う
何かしらの事件について「犯人側に共感しちゃう」と述べる人はインターネットにも少なくないが、思春期でもないのなら早めのカウンセリング等を検討した方が良いかもしれませんよと思う
例えば私と同じ目にあったとしても「刺したい」となるか、なってしまうならそれは何故か、100人居れば100通りの反応がある筈だ
共感等と他人の出した答えに誤魔化さず、自分の感情を自分の感情として認める事が重要なシーンが人生には多いように感じる
あと私にはどんなに激しい外的要因に曝されたとしても只横たわっている強固な自己愛が生まれつきいつも存在していた
そういう偶然の運や幸福を見出だせない人間がどう自分や他人を殺さずに済むかというのはだから分からない
同じく生家への苦悩を抱え続けた友人はさっさと人生を畳んでしまった
誰の代弁にも手本にも縁(よすが)にもなりようがない
自分だけのやり方を見付け続けるしかない