自己暗示したもん勝ち

昔読んだエニアグラム関連の本にどれだけ激しい外的要因に傷付けられたとしても根幹の部分は決して変わらないというような文章があり、大変素晴らしく恐ろしい事だなと思い、良く泣き良く笑う幼少期の写真を見返してはそれが根幹だと自分に刷り込んだ
それ以前の赤ん坊時代はほぼ全く泣かず要望があればチラリと母親に目配せをするのみだったらしいのだが、それを本来とするのは何だか嫌だよ
赤ちゃん像として範馬勇次郎の次くらいにあってほしくない感じだ

知らない自分は恐怖で希望

16personalitys、たまにやっては大体INTP-Aなんだけども子どもの頃はまさにその通りって感じで屡々孤立した
でも学校は学問をやる場所で成績さえ収めておけば追い出される事は無いと踏んでいてあんまり深刻には考えて居なかったし、運良く一人二人くらいは良くしてくれる魂が大人な同級生が居たので大丈夫だった
大人になった今はその場の人間関係がどうすれば上手く回るか、心穏やかに過ごせるかに興味を持ったので社会的にはグッドでも人間的にはいやらしくなったなと思う
上手くやりながらもプライベートの付き合いは極力避けるのは、ずっといやらしい自分で居ることに耐えられないからだろう
どんなシーンでも全く嘘の自分をやっている訳ではなくほんの一握りしかない協調性を大きく見せてるだけなんだけども、根深いところがそれをまだ許さないんだよね
でもINTP型は人間の中で取り分け生き辛いのか?という事には「今以て生きてるし」と「この人生しかやったことないし」という二点から否定寄りの疑問です
現状の自分を生き辛いものと捉えているなら何度でも定義し直せば良い
未確認の情報、方法は生きてる内ならまだある

玉子と鶏が消えた日

サービスや飲食業とのトラブル話まぁまぁあるが夫と私は楽しみにしてしまうところがあって、以前回転寿司の味玉軍艦を頼んだら味玉の片方が紛失していたのを機に毎回頼んでしまうし、数年前のクリスマスにケンタッキーの予約品を夫が受け取りに行ったところ二つ頼んだバーベキューチキンの片方が紛失しており、夫曰く店員さん全員が慌てふためき遂には「ゴミ箱の中まで探してた」らしくめちゃくちゃウケた
ゴミ箱から発見されたらそれをくれるつもりだったのかは知らんが、どこにも無く新しいのを用意してくれた
以来「今年は二本ともなくしてほしい」という願いを込めてクリスマスには同じ店舗でバーベキューチキンを頼み続けている
あと単純にオリジナルチキンとか言うまやかしは捨ててこっちを通年販売してくれと思う程私はバーベキューチキンの味が好き
回転寿司の味玉は、かなりレーンの出発地点から近い席で間で悪戯があれば見える位置だったがそんな様子も無く、最初から乗ってなかった可能性も含めて面白かった
赤ん坊が「いないいないばぁ」できゃっきゃするように、あると思ってるものが無かったり無いと思ってるものがあったりするのってやっぱ人間にとって面白い現象なんだと思う
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