これは感謝?母親。

じょうぶな身体に生んでくれた親に感謝、という言葉よく聞きます。

幸せなことです。

それを考えたら、わたしは多分違うだろうと思う。

そんなこと、思ってはいけないことも、わかってる。

わたしたちの母娘関係がどうのではなくて、

わたしを出産した時は、それは必死だったと思うし、

目も見えて聞こえて歩けて、なにを不満があるか、感謝しかないだろって話です。

小さな時から入院している子どもさんもいることを思うと、

自分はからだが弱かっただけだろ、ですし。

若い時は、わかりません。

自分は小さい時は弱かったけど、年頃になると、普通に健康だと思ってました。
そうじゃなかったんですけども。

二十代前半の時、なかなか嫁ぎ先に縁がないのを、母親があせってしまって、
(この頃の母はものすごく、特にしんどい母でした)

親戚に、誰かええ人おらへんかと聞いて、

親戚っても、普段会いも付き合いもない人でしたが、

その人が、阪神電車勤務や、
ええ会社の人ようけ知ってるから、世話したるわ、と言って、

それを間にうけた母親は、
(疑い深いくせに)
えらく顔色がよくなって、

目の前にいたわたしのことを

「からだも、どっこも悪いとこはない」

と自慢そうに、わたしはすごく居心地が悪くて、恥ずかしかった。


払いたくもない金出して高校まで出した、

体も健康、やせぎすではない、色白でぶさいくでもない(母の解釈)
どこ行かせても恥ずかしくはない、と思ってたんだろうと思う。

もうわたしの時代は同級生はみな大学に行った。

とにかく若いうちにと、なんだかすごく必死であせっていた。
遅れてはいけない、23歳までには、とよく言ってたし。


確かに、女性は子ども産む期限があるので、
あまり遅れないほうがいいのはいいのだけれど。

顔色変えて、早く早くとこの話をする母のことが、わたしは、こわかった。
しんどくて。


その後、その親戚は、なんの返事も音沙汰もなく、

母はそれをすごく怒っていた。

紹介したる言うたのに、と腹を立てていた。

わたしは、他人(親戚など他人です)
の言うことをうのみにするほうがおかしいと思った。

口ばかりの人だとわかってたはずなのに。

本当にいやなゾッとする話です。

どこの家にもあるような話だ、お母さんはあなたを心配してたんだね、と他人は思うだろう。

親子もむずかしい。

母と娘。
親子。
むつかしいなぁ。
なんやかやと、
きょうだいはどうだろうか。

姉妹を見たら、わたしはうらやましいけどね。
あくまでも仲良しなね。

旅行にともに行くような姉妹ね。

この年齢になると、

かけがえのないであろう、我が娘に腹立つ気持ちもわからんでもないわね。

死んだ母の横暴さを思えば、

あの人にも、思いがあっただろうから。

若い女の子の、なんていうかね、イラつくとこね。

母と娘は女どうしだから、むずかしい。

ただでさえ、女どうしはめんどうくさいのね。

本当なら、気楽で楽しいはずの女どうしなんだけど。


この考えは、もしかして、よくないかもしれないけど、

親も他人であると思ったほうがいいこともある。

どの親子にもあてはまる話とは違いますよ。

うちはそんなんじゃないと思うなら、それでいいんです。


親の意見とナスビの花は、千にひとつのあだはない、と、
人情もののお芝居のセリフですが、

これも違います。
まぁ、今時の親は
「親の言うこと聞いてたら間違いない」
と、押し付ける親はいないかなとは思いますが。

うちの母親そうでしたから。

違います。
絶対にちがう。

でも、当たってることも、あるのよ、親の言うこともね。


きりがない、むずかしい話です。


無責任な母の言葉。

70歳をすぎたあたりから、母は被害妄想がひどくなり、
わたしに対して、財布を盗んだやろ、とか、通帳返せとか、もう本当にこっちの気が狂いそうでした。
アルツハイマー認知症には間違いなかったとは思うのですが。
その母親が、ある日真剣な顔をして言いました。
「あんたは本当はお父さんの子やないんや」

近所のどこどこのなんとかさんの子なんだと、名前まで言いました。

その人に温泉や色々連れて行ってもらったんだと話してましたが、
その人はもう故人になってました。

わたしはこの話は、母の作り話じゃないかと思います。

本人の頭の中では真実化してたのかもしれませんけど。

なぜかというと、
母はよく、父と結婚した頃は、父の自営業を手伝って、1日中忙しく来客も多く、ゆっくりした時間はなかったとよく話していたのです。
これは本当の話だと思うので、

そういう時によその男性と内緒で関わるのは、不可能かなと思うんです。


自分をメロドラマの主役にしてたんじゃないですか。

わたしは別にどっちでもいい。

父と血のつながりが、本当になかったとしても、わたしの父はあの父しかいません。

わたしが小三で亡くなったんですけどね。

でも、ひとつ気になることがあります。

わたしは父とどこも似てないのです。

母も亡くなってるし、
本当のことなんかわかりません。
仮に母が生きてても、

まともに真実を答えることはないでしょう。

無神経な言葉。

わたしは結婚したいなんて、ひとことも言わなかったし考えなかった二十代前半のころ、


早く結婚しろと、年中うるさかつた母は、

ある時、こう言いました。

「あんたをやしのーて(養って)くれる人やったら誰でもええやろ、はようにしい、はよ子ぉも産まなあかん」

なんかね、ゾゾッとしました。

養ってもらうがために結婚するのか。

誰でもええやなんて、ひどすぎる。

この言い方は、いけません。

言うなら頭使って説得しないとね。

そんな頭つかう母親なら、母娘関係も円満にいったでしょうよ。

今になると、
母のこの、ぶしつけな言葉も、まぁわかるんですよ。


養ってくれる人なら、それはどれだけありがたいでしょうね。

お金の心配をしない結婚生活って、
やっぱり安心ですよ。

それで浮気をしない、

優しい人なら、どんだけいいでしょうか。


自分も働いてはいても、

自分も働かなきゃ成り立たないじゃなくて、

わたしが働かなくても困らないなら、いいですよね。

今はね、あの頃とは違う。

時代は変わったし、

今はたいがいは夫婦で働いている。

仕事が好きで、やめたくないから働くじゃなくて、

夫の稼ぎだけでは子どもの費用も間にあわないから、だから

働くなら、しんどい時もあるだろうと思う。

要るものは要るし、

お金がないと生きてはいけない。


母との関係

親子関係に悩みを持っている人は多いかもしれない。

わたしも、小四からずっと母と二人だったけど、悩んでた。
母との関係に。
自分がどんどん年とると、

あのとき、母はなんの悪気もなかったんだなとか、

わたしをおもってたんだろうとか、

わたしを愛してなかったわけではないとか、

色々わかるんだけど、

親であってでも、ものの言い方を考えないといけないことも、ありますよ。

実子だからってねぇ、なに言ってもなにしても、いいわけじゃないわ。

母親からして娘って、
なんの遠慮もないのよね。

息子なら異性だから、ちょっとは違うのか、それはわからないけど。

わたしが二十歳をすぎたあたりから、

過干渉だった母がますますうるさくなり、

はやく結婚して子を産めと言うようになった。
23歳までには、子をひとり産まないとだめだと言い、

形相を変えて、それはもう、すごかった。

こっちがノイローゼになるかというほどに。


こっちは結婚したいともなんとも言わないのに、

母が必死になって、わたしを責めていた。

あれでは逆効果だと、あの人にはわからなかったんだろうね。

北風と太陽だと思う。

どんな関係でもね。


相手が望まないことを、

やれやれと責めて押し付けても、
誰だっていやがって逃げるばかりでしょう。

結婚したがらない彼氏も、そうじゃない?
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