1018 ☆日記「フリノーさん」の話(0)




今まで、さまざまな「記録するための媒体」を使ってきました。

 

小学3年生で初めて日記を書こうと思ったのは、

2年生で隣の席になった男の子のことが好きだと気づいたからでした。

最初のページはクラスが離れて寂しいという感情から始まっており、
その後は放課後の児童館で偶然会って少し会話できたことなど、ささやかな幸せを記していました。

それからというもの、何か感情がたかぶった時やモヤモヤする時など、

思春期特有の感情(友達や家族にも話せないようなこと)を書くようになり

その日記帳を、心の支えとして使ってきました。

 

成長するにつれ、複雑な感情や人間関係も増えていきました。

中学生の時、一番開いていたような気がします。

 

そのころの日記帳の表紙には「FREE NOTE」と書き、

通称「フリノーさん」と読んでいました。

駆け込み寺のように開き、時には泣きながら文字を書いていたのも覚えています。

 

高校2年生の時から、自分を表現し、外に発信する人生に変わりました。

それまで「フリノーさん」に書いていたつたない文章が、

時には絵となったり立体になったりして、アウトプットする媒体が増えました。

 

それでも文字は、直接的かつ端的に、真っ直ぐに思いを吐露できるものとして

「フリノーさん」の存在は揺るぎませんでした。

 

1冊目 メゾピアノのノート

2冊目 パティ&ジミーのノート

3冊目 黄色い紙のノート

 

ーーーー

 

美術大学に入って、自分の思いを形にする時間が中心の毎日で

日記というクローズドな場所に留めておくのはもったいないと思うようになりました。

感情全てが作品になる、感情自体を素材として見るようになりました。

 

それから、自分のキャラづけ、お気持ち表明、そして共感など、表現ができるインターネット上の媒体を探しました。

ちょうどそのころからSNSも一般的になり、ツイッターとインスタグラムは身近なアウトプット場所になりかわりました。

 

【中学高校で使っていたネット上のサービス】

グリー、デコログ、個人HP(CROWT.JP)エムブロ、リアルタイム、ミクシィ

これらは続かず、大学に入ってからはあまり開かなくなりました。

 

【大学に入ってから始めたネット上のサービス】

アメブロ、タンブラー、フェイスブック

これらも今は全く更新していません。

 

そんな中でも、作品にならなかった感情や黒くて目を背けたくなる感情など

どんな感情でも受け止めてくれる「フリノーさん」は細々と続いていました。

 

4冊目 思い出のマーニーのモレスキンノート

5冊目・・ツバメノート、時々フライングタイガーのノート、クロッキー帳

(ここから決まったノートを作ることはなくなり、その場の紙等に書くようになりました)

 

ーーーー

 

思春期、大学時代、社会人を経たいまの私(無職)は、

自分だけのクローズドにしておきたい感情がずいぶん減りました。

 

ありのままの自分のことを受け止めてくれる人が周りにたくさんいるんだな、と気づいたのかもしれません。

 

思いついたことや考えていること、悩んでいることは全部口から外に出ていくようになり、身近な人に”軽率”に話すようになり、

自身について思い巡らす、思案している「ログ」がここ数年ろくに残っていません。

 

今、突然、深夜にこのメモに書いている行為も、とても久しぶりです。

→思春期の媒体であるエムブロにログインできたので、投稿してみました。

 

ーーーー

 

私のすべての歴史は、すべて愛すべきもので、黒歴史ではありません。

目を背けたくなるような過去の感情も抱きしめて、ふりほどいたりしません。

 

今がいちばん仕上がっていて、幸せです。

いつでも大体思っています。

 

フリノーさん、あのノートたちは、今どこにあるのだろうか。





comment

▼ top 





_.

-エムブロ-